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妻女山陣場(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

DSC05405.JPG←妻女山陣場の現況
(2012年4月訪問)
 妻女山陣場は、第4次川中島合戦の際に、川中島に着陣した上杉謙信が本陣を置いた陣場である。1561年8月、上杉謙信は1万3千の兵を率いて川中島に出陣し、犀川と千曲川を渡って海津城を見下ろす妻女山に本陣を置いた。その急報を狼煙の伝達で受けた信玄は直ちに躑躅ヶ崎館から出陣し、途中信濃の兵も合わせて総勢1万8千の軍を率いて川中島の西方の茶臼山に本陣を構え、雨宮の渡しを中心に軍を展開し、謙信の退路を断つ態勢に出た。しかし上杉方に動きは見られず、10日以上両軍の睨み合いが続いた末、信玄は茶臼山を降りて海津城に全軍を集結させた。そこで軍議を行い、山本勘助の献策を容れて決めたのが、史上名高い啄木鳥戦法であった。即ち、武田勢の別働隊に妻女山背後から奇襲攻撃を行わせ、押されて妻女山を降りた上杉勢を八幡原で待ち受ける武田勢本軍が迎え撃ち、挟み撃ちにするという作戦であったとされる。しかし奇襲の前夜、海津城から立ち上る多数の炊煙を見た謙信は、武田勢の動きを察知し、夜陰に紛れて密かに妻女山を降り、千曲川を夜間渡渉して武田勢本軍の正面に全軍を布陣した。明朝、八幡原に濃く垂れ込めていた霧が朝日と共に徐々に晴れてくると、武田勢の前には整然と並んだ上杉勢の大軍が姿を現した・・・。これ以降の戦いの推移は川中島古戦場の項に記載する。

 妻女山陣場は、天城城の北に伸びる尾根の先端部、標高411m、比高61mの妻女山にある。山上は公園になっており、車道も整備されているので簡単に訪問することができる。山の上はただの平場になっており、招魂社や石碑が建っている。北端近くに土壇があり、宮坂武男氏は『信濃の山城と館』の中で謙信の床机場ではないかと推測している。しかし現地の地勢などを見ると甲陽軍鑑の伝える合戦の有様には疑問が多く、そのまま鵜呑みにできるものではない。従って本当に謙信がここに本陣を置いたのかも、未だに実証はされていない。しかし登り道の途中には、鎗先の清水、鞍掛松、槍尻の泉など謙信にまつわる史跡も残っており、謙信の伝説が色濃く残っている場所である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.561531/138.171401/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:陣城
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