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大山城(茨城県城里町) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6483.JPG←主郭の櫓台
 大山城は、佐竹氏の庶流大山氏歴代の居城である。創築は、1132年に大掾氏の家臣鈴木五郎高郷によるとされる。南北朝時代の1362年、佐竹氏10代義篤は4男義孝をこの地に分封し、義孝は大山城を再築して大山氏を称した。以後、大山氏の居城となった。佐竹一族の内訌「山入の乱」の際、佐竹氏の当主義舜は1490年、居城の常陸太田城を追われて、外祖父の大山義長を頼って大山城に逃れ、義長は義舜を孫根城に匿った。義舜は大山氏の庇護を受けて10年もの間孫根城に居たが、1500年、山入氏義は義舜を孫根城に攻め、義舜は金砂山城に逃れて抵抗した。2年後、金砂山城の戦いに勝利した義舜は勢力を盛り返し、常陸太田城を奪還して復帰した。その後も大山氏は佐竹宗家を支え続け、1595年、9代義則の時、佐竹領内の再編で大山氏は小高城に移され、大山城は廃城となった。

 大山城は、那珂川西岸の標高45.3m、比高20m程の独立丘陵上に築かれている。丘陵上部は平らに削平され、北側2/3はホテルが建つなど大きく改変されている。おそらくここに二ノ郭がったのだろう。一方、東麓から登り道が付いており、丘陵南部の主郭に登ることができる。主郭は、二ノ郭と2m程の僅かな切岸で区画されている。櫓台があり、小さな神社が建っている。5月下旬の訪城であったが、人がよく来ているのか遊歩道も主郭も藪化しておらず、遺構が一応見て回ることができる。この他、主郭・二ノ郭の東側に腰曲輪が確認できる。前述の登り道は往時の城道であったらしく、腰曲輪に繋がる他、二ノ郭や主郭に虎口も築かれている。防御構造としては腰曲輪だけで横堀・堀切などは確認できなかった。尚、藪をかき分けていくと主郭南斜面に腰曲輪に繋がる登道があったが、どうも後世の耕地化による改変らしい。佐竹氏庶流の有力な一族の居城にしては、遺構は見劣りする。あくまで山上のものは詰城で、東の町家に居館があったものだろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.514017/140.363066/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=airphoto&vs=c1j0l0u0f0
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