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津賀城(茨城県鹿嶋市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_0512.JPG←主郭虎口と蔀土塁
 津賀城は、この地の土豪津賀氏の居城であったと考えられている。津賀氏については系図不明であるが、大永年間(1521~27年)に津賀大膳、天正年間(1573~92年)に津賀大炊介が居たことが『鹿島治乱記』に記されており、津賀大膳は1524年、鹿島氏の内訌である高天原の戦いで、鹿島氏宿老で鹿島神流を創始した高名な武芸者でもあった松本備前守尚勝(政信)(剣豪、塚原卜伝の師でもある)と戦い、これを破ったと伝えられている。

 津賀城は、北浦東岸の比高25m程の丘陵上に築かれている。現在は城址公園として整備されており、夏でも訪城可能である。ほぼ単郭に近い小規模な城で、主郭は横方向に長い形状で、外周を土塁で囲み、南東辺の中央付近に虎口を向け、虎口を入ってすぐのところに蔀土塁を設けて視線を遮っている。また南西端には物見櫓の張り出しを設けている。主郭周囲は腰曲輪が一周し、虎口付近には空堀が穿たれ土橋が架けられている。この腰曲輪は公園化で改変を受けている可能性があり、どこまで往時の形状を残しているか不明な部分もあるが、外周には一部土塁も築かれていた様である。腰曲輪の南東の台地基部には堀切が穿たれ、その先にL字状の土塁を構築しており、馬出し的な土塁囲郭の様である。しかし不思議なのは、周囲の平場との分断はなく、意図が不明である。津賀城はその形態から見る限り、北浦の水運を監視する物見であると同時に、あくまで有事の際の詰城の位置付けだった様である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.037370/140.580776/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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