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小沢城(群馬県南牧村) [古城めぐり(群馬)]

IMG_2511.JPG←帯曲輪北端部の石積み
 小沢城は、南牧六人衆の一人、小沢氏の城である。1567年に武田家家臣団が納めた生島足島神社の起請文に南牧衆のものがあり、ここに名を連ねた小沢源十郎行重、市川四郎衛門重久、市川四郎兵衛貞吉、懸河彦八郎直重、高橋左近助重行、市川兵庫助景吉ら6名を南牧六人衆と称している。小沢城は、小沢行重が城主であったと推測されている。小幡信貞が武田信玄の支援を受けて国峰城を奪還した際、信玄の命で南牧六人衆は小幡氏に属し、その後も小幡氏の配下とされた。その後は上州諸豪と同じく、武田氏が滅ぶと織田信長配下の滝川一益に属し、本能寺の変で織田政権が崩壊すると、小田原北条氏に服属したのだろう。1590年の小田原の役の際には、豊臣方に降った南牧の同族に攻められ、落城したと伝えられる。

 小沢城は、標高498m、比高190m程の城山に築かれている。南西麓に小沢神社があり、その脇から登山道が伸びている。山頂に数段の小郭群から成る本城があり、主郭には馬頭観音堂が建てられている。主郭の前の腰曲輪の下方に小堀切があり、更にその下に2段の段曲輪が築かれている。その下には長大な帯曲輪が延々100m以上に渡って築かれ、一番北の部分には石積みが見られる。またその西下にも帯曲輪があり、林業用のものだったと思われる古びた鉄塔が3本立っている。その下方にもやや広めの平場が広がっており、南端には物見だったと思われる小丘もある。遺構は以上で、基本的には小規模な詰城であるが、想像していたよりも帯曲輪が長大で、遺構も明瞭である。
主郭下方の段曲輪→IMG_2516.JPG


 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.184485/138.751853/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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コメント 2

史学会帰り新参

下仁田よりさらに奥の南牧村にも城跡がありますね。
未整備で荒れ果てているかと思ったら、遺構も分かるみたいで見学で出来るみたいですね。その南牧村も高齢化率が高くて、消滅可能性が最も高い村に指定されたとかで、今後城跡もどうなるか気になります。
パソコン故障は大変でしたね。HDDが壊れてデータ消失しなかったのが不幸中の幸いでしたね。自分のパソコンもWIN7でなので年内に更新しなければなりません。その時まで無事動いていることを祈ります。
by 史学会帰り新参 (2019-09-21 23:03) 

アテンザ23Z

>史学会帰り新参さん
まぁー、南牧も山深い土地ですからね~。でも各地の城歩きをしていると宮坂先生などもコラムに書いてますが、こんなところに集落があるの?とびっくりするような山中に家が何件も建っていたりします。でもいずれは廃村になっていく運命なのでしょう。
パソコンに限らず、電子機器類は昔より値段が安くなった分、故障率は以前より高くなっていますよね。新しいもののほうが壊れやすいと思いますよ。
ちなみに、月末頃には石川の城シリーズに突入すると思いますので、乞うご期待!
by アテンザ23Z (2019-09-22 10:36) 

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