松留館(山梨県上野原市) [古城めぐり(山梨)]
←墓地裏に残る土塁
松留館は、歴史不詳の城館である。この地は、鎌倉時代前期までは古郡氏の支配、古郡氏が1213年の和田合戦で滅亡すると、その遺領は加藤氏に与えられ、加藤氏は甲斐守護武田氏に属してこの一体を支配していたと考えられている。このことから、古郡氏や加藤氏に関連する城館ではないかとの説があるが確証はない。
松留館は、桂川と鶴川の合流点北西の段丘上に築かれている。現在は正法寺の境内となっている。明確な遺構は唯一、寺の北側にある墓地裏の直線状の土塁だけである。その北側の、JR中央線との間に広がる畑地も一郭であった可能性を『日本城郭大系』では指摘しているが、夏場では雑草に覆われていて、土塁の残欠らしい土盛りがあるとされるのもよくわからない。明確な遺構には乏しいが、地勢そのものが要害である。尚、館の西側を通る甲州街道の方が上方にあり、街道から見下ろせる場所が城館地として適切だったのか、ちょっと気になった。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.617169/139.108061/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
松留館は、歴史不詳の城館である。この地は、鎌倉時代前期までは古郡氏の支配、古郡氏が1213年の和田合戦で滅亡すると、その遺領は加藤氏に与えられ、加藤氏は甲斐守護武田氏に属してこの一体を支配していたと考えられている。このことから、古郡氏や加藤氏に関連する城館ではないかとの説があるが確証はない。
松留館は、桂川と鶴川の合流点北西の段丘上に築かれている。現在は正法寺の境内となっている。明確な遺構は唯一、寺の北側にある墓地裏の直線状の土塁だけである。その北側の、JR中央線との間に広がる畑地も一郭であった可能性を『日本城郭大系』では指摘しているが、夏場では雑草に覆われていて、土塁の残欠らしい土盛りがあるとされるのもよくわからない。明確な遺構には乏しいが、地勢そのものが要害である。尚、館の西側を通る甲州街道の方が上方にあり、街道から見下ろせる場所が城館地として適切だったのか、ちょっと気になった。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.617169/139.108061/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る
- 作者: 宮坂 武男
- 出版社/メーカー: 戎光祥出版
- 発売日: 2014/07/01
- メディア: 単行本
タグ:居館
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