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上野原城(山梨県上野原市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN0673.JPG←堀切跡の道路
 上野原城は、内城館とも言い、最初は古郡氏、後に加藤氏の居城となった。古郡氏は、武蔵七党の一、横山党の一流で、小野横山系図によれば横山党の祖となった義孝の孫忠重が、平安末期にこの地に入部して古郡氏を称したことに始まる。古郡氏は4代続き、現在の上野原から大月市域まで支配したが、1213年の和田合戦で和田義盛方に属して敗れ、滅亡した。同年5月、戦功によって古郡郷は加藤景長に与えられ、上野原城を居城とした。その後加藤氏は、室町中期に加藤入道梵玄が武田信長に従って活躍し、1494年3月26日の合戦で死んだ加藤兵衛少輔の名がある。1582年の武田勝頼滅亡の際には、加藤丹後守信景は一族を率いて武蔵国へ逃れたが、武蔵箱根崎で一族と共に討死したと言う。

 上野原城は、鶴川とその支流の小河川に挟まれた三角形状の台地突出部に築かれている。しかし現在は城の中心部を中央自動車道が貫通し、東の小河川による幅広の沢もほとんど埋め立てられて、小さな水路と段差がスーパーの裏手に残っているだけである。従って地勢も大きく変貌してしまっており、城の名残を思わせるものはほとんど無い。かつての城跡の北西の基部には堀切を穿って台地と分断していたが、それは現在の稲荷神社前の車道に相当する様である。これも埋め立てられているので、旧状を推し量ることはできない。内城と呼ばれた主郭内も、外城と呼ばれた外郭も、全て宅地化で改変されている。稲荷神社前の城址解説板だけが、城の歴史を伝えている。尚、解説板にある城跡の地形図では主郭は四角い形をしていたように描かれているが、昭和20年代前半の航空写真を見た所、実際には前述の通り三角形状が正しい。実態とかなり異なる地形図なので、注意が必要である。
東側の段差と水路→DSCN0675.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.623884/139.109133/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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