SSブログ

中津森館(山梨県都留市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN0761.JPG←館跡の中の小丘
 中津森館は、郡内小山田氏が谷村城に移る以前の居館である。小山田氏は、坂東八平氏の一、秩父氏の庶流である。武蔵守平将常5代の孫秩父重弘の次男有重が武蔵国小山田荘に住んで小山田氏を名乗ったことに始まる。鎌倉初期頃に田原郷を領知して、その一族がこの地に入部して郡内小山田氏が成立した。室町時代中期には、甲斐守護武田氏と姻戚関係となっており、小山田氏が郡内地方で相当の勢力を持っていたことがわかる。戦国時代前期に武田信縄・信虎父子と信縄の父信昌・弟信恵との間で守護職継承をめぐって内訌が生じると、小山田氏ら郡内勢は最初信恵側に付いた。1508年に信虎は信恵父子を討滅し、次いで小山田弥太郎が討死している。その後、信虎との間で和睦が成立し、これ以後武田氏の傘下に入ることとなった。中津森館が築かれた時期は不明であるが、1530年に消失するまで小山田氏の本拠であった。1532年に小山田越中守信有が谷村城を築いて居城を移すと、中津森館は廃館となった。

 中津森館は、大幡川北岸の傾斜地に築かれている。用津院の北西一帯が館跡とされ、南と西には江戸川という小河川が流れて天然の堀となり、その上に高台となって平場が広がっている。北東には畑の中に「泥堀(でいぼり)」と呼ばれる屈曲した堀跡が残っているが、館跡は耕地・宅地・墓地となり、それ以外の明確な遺構はよくわからない。用津院の北西に隣接して小丘があるが、いかにも物見台と言う感じの丘で、土塁の役割も負っていたと推測される。尚、北にある桂林寺には、小山田氏の墓と板碑が残っている。
泥堀と言う堀跡→DSCN3867.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.563739/138.895608/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント