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湯山城(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN5023.JPG←主郭の櫓台
(2020年10月訪城)
 湯山城は、宿ノ沢楯(宿ノ沢館)とも呼ばれ、城主は大崎義隆の家臣湯山修理亮とも湯山駿河とも伝えられるが、これは湯山基綱という武士のことであるらしい。基綱は、1588年の大崎合戦の際に新井田隆景に属して伊達勢と戦ったと言う。

 湯山城は、江合川南岸の標高200m、比高100m程の山上に築かれている。城の中心部がある東に突き出た主尾根とその北東に伸びる支尾根にまたがって城域が広がっている。主尾根と支尾根の間は谷戸状の斜面になっていて、そこにひな壇状に多数の曲輪群が築かれており、その間を縫うように大手道が上まで伸びている。ただこの谷戸状斜面の最下方は、深いV字の谷になってしまっていて、道を辿ることができない。おそらく豪雨などの影響で、往時の地形が変わってしまったものと思われる。また大手道も、わずかな踏み跡が見られるだけなので、山から降る時にはわかったが、登る時にはわからない程度のものである。大手道の最下方の南側には広い平場が広がっており、城主居館などが置かれていた可能性がある。山頂には主郭があり、後部に櫓台を築いており、そこに祠と城址標柱がある。主郭の背後には鋭く穿たれた堀切があり、その後ろの尾根上には物見台がある。主郭の前面下方(東側)には二ノ郭が築かれており、外周には土塁が築かれ、正面に当たる先端部には枡形虎口が築かれている。この桝形虎口は、土塁の形状から推測すると櫓門の構造であったと思われ、まるで近世城郭の様な作りである。その下には三ノ郭が広がっている。従って城の中心の曲輪は、西から東に向かって梯郭式に3つの曲輪が連なっている。三ノ郭の外周には弧を描く様に横堀が廻らされている。横堀の外側には櫓台状の平場も見られる。この横堀は城内通路を兼ねていた様で、谷戸の腰曲輪群に繋がっている。おそらく前述の大手道はこの横堀に繋がっていたのだろう。また三ノ郭の南と南西にも腰曲輪が築かれている。南西の腰曲輪の脇には、主郭背後の堀切が長い竪堀となって落ちてきている。この堀底には井戸の様な溜水のある窪みがある。三ノ郭の東斜面にも何段もの腰曲輪が築かれている。一方、二ノ郭から北東に伸びる支尾根には細尾根上の曲輪が続き、側方に腰曲輪も伴っている。北東尾根には堀切も2つ穿たれている。尾根の裏に当たる西側にも腰曲輪と虎口が見られ、搦手道があったらしい。北東尾根は途中で東に向かってくの字型に折れており、この曲がりの部分に物見台がある。この付近にはわずかに石積み跡が見られる。以上が湯山城の遺構で、かなり規模の大きな拠点的な城であった様である。石積みがあり、また枡形虎口の作りが大崎氏の城っぽくなく伊達氏系山城に多い作りなので、伊達政宗の岩出山城移封後に伊達氏による改修の可能性が考えられるのではないだろうか。

 尚、城へ登り口は東麓の林道脇の取り付きやすいところから上がると、谷状の地形(大手道の最下方)があるので、そこをそのまま進むか、北側の支尾根の小郭群に取り付いて尾根筋を登るかすれば良い。
主郭堀切から落ちる竪堀→DSCN5011.JPG
DSCN4960.JPG←二ノ郭枡形虎口の土塁
横堀と三ノ郭切岸→DSCN5068.JPG
DSCN4918.JPG←北東尾根曲輪群の石積み

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.719855/140.791436/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

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