SSブログ

菅原楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN5450.JPG←二重堀切
(2020年10月訪城)
 菅原楯(菅原館)は、菅原大夫公成の居城と言われている。『日本城郭大系』によると菅原氏は白鶯氏の祖であるらしいのだが、菅原公成についても白鶯氏についてもその事績は不明である。現地標柱の解説文には、源頼義が八幡神社を勧進した時に別当寺として建てられたとあるが、元は寺だったのだろうか?

 菅原楯は、後藤楯の西方260mの位置にあり、八幡神社の北の尾根が二迫川に向かって突き出た部分に築かれている。以前に後藤楯を訪れた時に、林道脇の標柱を見つけていたのだが、その時は付近を探索したが遺構を確認できなかった。城跡は標柱から200m以上も離れた場所にあり、今回その場所を特定できたのでリベンジした。
 八幡神社西の山道から、薮に埋もれかけた林道が北に向かって分岐しており、それを辿って200m程歩いたところで道から逸れて北側の薮に分け入ると、すぐ目の前に二重堀切が現れる。この二重堀切は深さはそれほどでもないが東西に長く伸びて、尾根両側に入り込んだ谷まで落ちている。二重堀切の北には物見台を兼ねた三ノ郭があり、その北には深さ5~6mの大堀切が穿たれている。この堀切も東西に長く伸び、前述の二重堀切と東西の谷で合流するような感じで落ちている。これらの堀切で囲まれた、東西に降る斜面に小郭群が築かれ、その頂部に三ノ郭が置かれた形となっている。大堀切の北には繋ぎの曲輪を挟んで主郭が築かれ、それらの外周に1~2m程の段差で腰曲輪状の二ノ郭が広がっている。二ノ郭の更に東西斜面にも腰曲輪群が築かれている。二ノ郭の北端は断崖となっている。

 以上が菅原楯の遺構で、それほど技巧的ではないが、二重堀切や大堀切などの遺構は、戦国期に使われた可能性を示しているように思う。尚、比較的大きな城である後藤楯と隣接するように築かれているが、両城が同時代に並立していたとは考えにくい。両城の関係については今後の後究を待ちたい。
大堀切→DSCN5515.JPG
DSCN5499.JPG←二ノ郭から見た主郭切岸

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.810286/140.935439/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


あなたの知らない宮城県の歴史 (歴史新書)

あなたの知らない宮城県の歴史 (歴史新書)

  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2013/03/06
  • メディア: 新書


タグ:中世崖端城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント