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南館(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

DSCN5641.JPG←館跡に建つ神明神社
(2020年11月訪城)
 南館は、山形城の南方を防衛する城館である。最上氏の祖、斯波兼頼が1356年に山形に入部した頃は、弘法屋敷という館があったと伝えられる。最上氏5代義春は、1470年に鎮国安民と山形城南門守護のため神明神社を勧進した。この頃から南館という地名になったとされる。1571年、最上義守は家督を嫡男義光に譲ると、南館を隠居所としたと言われる。後には義光の重臣寒河江肥前守が館主になったと言う。また義光の妹義姫は、伊達輝宗に嫁いで政宗(貞山公)・小次郎を生んだが、1594年に伊達家を出奔して兄を頼って生家の最上家に戻った。この時安心して生活できる地として南館を選び、10数年間暮らしたとも言われる。肥前守が義姫に館を譲ったものだろう。1622年に最上氏が改易されると、義姫は伊達家に戻っているので、この時に南館は廃館になったと推測される。

 南館は、南館二丁目児童遊園を中心とする一帯にあった。ここは旧羽州街道と小滝街道が分岐する交通の要衝であり、両街道に囲まれた内側に水堀で区画された方形居館があっとされる。住宅地に変貌していて遺構は全く無いが、児童遊園内には神明神社が建ち、南館に関する解説板がある。西側の堀跡部で道路が屈曲しており、往時の虎口の跡を想起させる。
西側の道路の屈曲→DSCN5655.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.238871/140.313574/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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