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荒楯(山形県尾花沢市) [古城めぐり(山形)]

DSCN6049.JPG←主郭背後の堀切
(2020年11月訪城)
 荒楯は、最上義光の家臣新館十郎の居城である。十郎は、1584年の義光による天童氏討滅後、尾花沢郡代として派遣され、荒楯を築いたと言う。

 荒楯は、尾花沢市街南方の標高178.6m、比高90m程の荒楯山に築かれている。『山形県中世城館遺跡調査報告書』の縄張図では肝心の主郭が抜けているが、三角点のある標高178.6mの峰に主郭が築かれている。主郭は背後に堀切を穿ち、主郭の北には南北に長い二ノ郭が置かれ、二ノ郭の北西に何段もの腰曲輪群を築いている。また西に張り出した尾根には三ノ郭を置いていたらしい。三ノ郭の北西にも腰曲輪群が築かれている。以上はスーパー地形(または傾斜量図)から追える城の構造である。ところが実際に行ってみると、西麓の荒楯不動尊の参道脇から城に至る山道があるものの、どの曲輪内も未整備の薮だらけで、ほとんどその形状を追うことができない。しかも基本的に平場群のみで構成された城なので、薮に埋もれた切岸以外に確認できるものがほとんどない。唯一、主郭背後の堀切だけ、形がはっきりしている。また主郭の後部には土塁が築かれているのも確認できた。それ以外は薮・薮・薮で、残念な状況である。

 尚、前述の荒楯不動尊は、新館十郎が朧気川を望む高台に城の守護神として不動明王を祀ったのが始まりとされる。
主郭後部の土塁→DSCN6053.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.591801/140.419983/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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