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御殿楯(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN9663.JPG←主郭群西側の横堀
(2020年11月訪城)
 御殿楯(御殿館)は、歴史不詳の城である。国分氏に関連する城(国分35城の中の古天城)とも、或いは野武士達が立て籠もった城とも言われる。尚、城のある御殿山には古くから「山神の祠堂」が祀られていたと言われ、1189年の奥州合戦の際、源頼朝はこの祠堂に戦勝を祈願し、合戦後配下の伊沢家景(留守氏の祖)に社殿を造営させ、その本殿は1457年まで御殿山山頂に祀られていたと言う。

 御殿楯は、諏訪神社の背後にある標高180m、比高70m程の独立丘陵に築かれている。東麓の諏訪神社脇から散策路が整備されており、簡単に登ることができる。城内は大きく3つの曲輪群で構成されている。ここでは西の山頂から順に主郭群・二ノ郭群・三ノ郭群と呼称する(現地解説板では、主郭群を西曲輪、二ノ郭群・三ノ郭群を合わせて東曲輪としている)。散策路を登っていくと、最初に現れるのが三ノ郭群で、頂部に細長い三ノ郭を置き、北側下方に広い四ノ郭を築いている。四ノ郭の北側には横堀が穿たれている。また三ノ郭群の東端から北西に降るようにもう1本の横堀が穿たれており、散策路と並走している。頂部の三ノ郭の南斜面にも数段の帯曲輪が築かれている。三ノ郭群の西にある二ノ郭群は、頂部の二ノ郭はほとんど自然地形であるが、その後部に祠のある小さな土壇がある。南斜面には帯曲輪群が三ノ郭群から繋がる形で築かれている。二ノ郭の先の西尾根と主郭群を区画する部分に、南に降る堀底道があり、これは堀切とされている。堀底道を降った所に「湧水の池」があり、御殿山山頂にあった神社の御神水とのことだが、御殿楯の水の手であったのだろう。主郭も削平が甘く、頂部に水分神社が鎮座している。その背後には土塁状の土盛りが見られる。主郭群の西側は大きな横堀が穿たれている。南に向かって降っており、中央部が凸型に突出して横矢を掛けている。横堀に沿って内側には延々と土塁が築かれている。主郭群は、頂部にある主郭の南に段状に曲輪群を築いているが、少々薮が多いせいもあって普請が明瞭でない部分もある。しかし南東部にははっきりと帯曲輪群が確認できる。以上が御殿楯の遺構で、主郭群西側の横堀はしっかりしているが、それ以外はそれほどしっかりした普請ではなく、野武士達が立て籠もった城という伝承もあながち嘘ではないかもしれない。
主郭の水分神社→DSCN9582.JPG
DSCN9575.JPG←水の手であった湧水の池
四ノ郭北側の横堀→DSCN9680.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.266051/140.754229/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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