鶴島御前山(山梨県上野原市) [古城めぐり(山梨)]
←三角点のある山頂の平場
(2020年12月訪城)
鶴島御前山は、伝承では小俣日向守と言う武士の居館があったと伝えられる。それ故、山頂の平場を日向屋敷と称すると伝えられるが、山上にはその様な居住スペースはなく、詳細は不明である。しかし甲相国境に近いこの地域では、甲斐の武田信虎と相模の北条氏綱が1524年から6年にわたって抗争を繰り返しており、軍事的緊張が強い状態が続いていた。この付近には御前山の名が付いた烽火台や城砦が多いが、これらの諸城砦はこうした情勢下で構築されたと考えられ、鶴島御前山も国境警備の物見が置かれていたと推測されている。
鶴島御前山は、標高484.2m、比高270m程の峻険な山上に築かれている。北東麓から登山道が整備されているので迷うことはないが、ロープがないときつい急登や岩場も多く、なかなか大変な登山である。山上は東西に長い細尾根で、東端には稲荷社の小さな祠が置かれた平場があり、そこから更に岩の多い尾根を辿っていくと、三角点のある山頂の平場に至る。山頂の平場から西の細尾根にも平場が続くが、平場間にわずかな段差が見られるものの、ほとんど自然地形に近い。小屋掛けのスペースもほとんど無く、居住性は全く無いが、物見としては絶好の場であることはよく分かる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.609581/139.105153/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年12月訪城)
鶴島御前山は、伝承では小俣日向守と言う武士の居館があったと伝えられる。それ故、山頂の平場を日向屋敷と称すると伝えられるが、山上にはその様な居住スペースはなく、詳細は不明である。しかし甲相国境に近いこの地域では、甲斐の武田信虎と相模の北条氏綱が1524年から6年にわたって抗争を繰り返しており、軍事的緊張が強い状態が続いていた。この付近には御前山の名が付いた烽火台や城砦が多いが、これらの諸城砦はこうした情勢下で構築されたと考えられ、鶴島御前山も国境警備の物見が置かれていたと推測されている。
鶴島御前山は、標高484.2m、比高270m程の峻険な山上に築かれている。北東麓から登山道が整備されているので迷うことはないが、ロープがないときつい急登や岩場も多く、なかなか大変な登山である。山上は東西に長い細尾根で、東端には稲荷社の小さな祠が置かれた平場があり、そこから更に岩の多い尾根を辿っていくと、三角点のある山頂の平場に至る。山頂の平場から西の細尾根にも平場が続くが、平場間にわずかな段差が見られるものの、ほとんど自然地形に近い。小屋掛けのスペースもほとんど無く、居住性は全く無いが、物見としては絶好の場であることはよく分かる。
西尾根の平場→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.609581/139.105153/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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