SSブログ

谷地館(岩手県遠野市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5925.JPG←館跡近くの八幡宮
 谷地館は、遠野阿曽沼氏の一族宇夫方氏の居館である。『日本城郭大系』によれば、1189年、源頼朝の奥州合戦の軍功により阿曽沼広綱は遠野十二郷を与えられたが、広綱は一族の宇夫方広房を代官として派遣し、遠野を統治させた。その後、建保年間(1213~19年)に広綱の子阿曽沼親綱が遠野に入部した際、広房の孫広光が谷地館を築いて居住したと言う。1450年、葛西氏の家臣、気仙の金成政実が谷地館を攻撃したが、館主宇夫方守儀は近隣の鱒沢氏・宮森氏・大迫氏・達曽部氏らの援軍に助けられ辛くもこれを撃退したと伝えられる。この結果、宇夫方氏はより守りの固い山城の西風館を築いて居城を移したと言う。1557年に西風館が落城して宇夫方氏が衰退すると、阿曽沼氏の一族上野広吉が上野館から谷地館に居館を移した。一方、八幡宮にある館跡碑によれば、1235年に宇夫方広治が築いたと言う。南北朝期の1338年、陸奥国司・鎮守府大将軍北畠顕家が足利尊氏攻撃に出陣した際、宇夫方親定はこれに従軍して足利勢と戦い討死した。また1372年には宇夫方広儀は南朝方として足利勢と戦い討死したと言う。

 谷地館は、JR釜石線・岩手二日町駅の南側にあったらしい。現地解説板によれば、円形に近い形の曲輪で、外周を堀で囲まれ、東西に門を構えていたらしい。現在館跡は一面の水田と宅地に変貌しており、南東部には堀形を思わせる円弧状の道路が見られるが、明確な遺構は残っていない。館跡北西には八幡宮があり、その鳥居脇に館跡碑と館跡想像図が立っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.322388/141.456249/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


東北の名城を歩く 北東北編: 青森・岩手・秋田

東北の名城を歩く 北東北編: 青森・岩手・秋田

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本


タグ:居館
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント