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折壁楯(岩手県宮古市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9309.JPG←腰曲輪から見た主郭
 折壁楯(折壁館)は、伊豆国久澄を本拠とした伊藤駿河という武士が落人となってこの地に至り、居城として築いたと伝えられる。その後伊藤氏は、隣接する土豪根城氏(閉伊氏)に討たれて滅亡したと言う。しかし伊藤氏について確かな資料は一つもなく、伝承のみであるらしい。

 折壁楯は、長沢川とその支流の合流点に突き出た、標高103m、比高80mの丘陵上に築かれている。この城の中心部から東に突出した三ノ郭に神社があり、この城に登るにはこの神社への参道を使えばよいのだが、この参道の入口が非常にわかりにくい。この神社参道を見つけられるかどうかが攻略のポイントとなる。地元のお婆さんに教えていただいて、ようやく発見できた。民家の庭先を抜けていき、畑の中を登っていくので普通は無断での進入は気が引けるのだが、お婆さんにそこは通っていい道と言われたので、遠慮せず立ち入らせていただいた。県道290号線からの入口は、オモエエンジニアリング・サービスと書かれた緑色の看板と2台並んだ自販機が目印である。ここから真っ直ぐ西に登っていけば北西に登っていく参道がある。参道を登っていくと、途中に腰曲輪らしい平場がいくつか見られ、やがて三ノ郭外周の腰曲輪に至る。三ノ郭は腰曲輪の上に切岸で囲まれてそびえている。三ノ郭は東西に長い曲輪で、神社の拝殿と本殿が離れて建っている。三ノ郭の西に2段の段曲輪があり、北面から東面にかけて腰曲輪が取り巻いている。また三ノ郭の北東に伸びる尾根には舌状曲輪があり、その先に二重堀切が穿たれ、更に伸びる尾根の少し先にもう1本の堀切が穿たれている。その先には楕円形の平場があり、北郭であろう。三ノ郭の北に伸びる尾根にも段曲輪と堀切がある。一方、三ノ郭の西の段曲輪の先に堀切が穿たれていて、主郭腰曲輪との間を分断している。その西に腰曲輪で囲まれた主郭がそびえている。腰曲輪の北には一段低く北郭が張り出している。北郭にも外周に腰曲輪が廻らされている。主郭は切岸でそびえ立った長円形の曲輪で、南には段差で区画された二ノ郭があるが、主郭の南半分と二ノ郭の北半分とは矢竹が密生した薮で踏査困難であり、形状もよくわからない。主郭と二ノ郭の外周はきれいに削平された腰曲輪が取り巻いているが、ここも一部が密生した薮で覆われていて、踏査が大変である。二ノ郭の腰曲輪の下には更にもう1段の腰曲輪が築かれている。腰曲輪の南西には尾根には浅い堀切があるが、背後の守りはほとんど意識されていないようである。以上が折壁楯の遺構で、一部薮が酷いものの遺構はよく残っており、なかなか見応えがある。
 尚、この山はマダニの巣窟らしく、下山後にチェックしたら2月の岩手なのにトレッキングパンツにマダニが20匹以上もくっついていた。マダニ要注意の城である。
神社が建つ三ノ郭→DSCN9283.JPG
DSCN9257.JPG←二重堀切の一部
腰曲輪から見た二ノ郭→DSCN9346.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.597661/141.889211/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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