大成館(埼玉県さいたま市) [古城めぐり(埼玉)]
←館跡の普門院
大成館は、応永年間(1394~1428年)にこの地の領主であった金子駿河守家光の居館と伝えられる。1426年、駿河守は関東を巡って仏法を説いていた曹洞宗の高僧・月江正文に帰依し、自らの居館を禅庵に改め、寺号を普門院としたと言う。
大成館は、現在普門院の境内となっている。よくある単郭方形居館であったらしく、以前は北辺の空堀が残っていたが、館跡北部が大成中学建設の際に校地の一部となってしまい、空堀は失われたと言う。戦後間もなくの航空写真を見ると確かに空堀らしいものが確認できる。結局今では遺構は残っておらず、門前の「大成館跡」の石碑が残るだけである。尚、普門院には大成領主であった旗本小栗忠政一族の墓が残っている。幕末の偉人の一人、小栗上野介忠順の直系の先祖である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.911742/139.612777/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
大成館は、応永年間(1394~1428年)にこの地の領主であった金子駿河守家光の居館と伝えられる。1426年、駿河守は関東を巡って仏法を説いていた曹洞宗の高僧・月江正文に帰依し、自らの居館を禅庵に改め、寺号を普門院としたと言う。
大成館は、現在普門院の境内となっている。よくある単郭方形居館であったらしく、以前は北辺の空堀が残っていたが、館跡北部が大成中学建設の際に校地の一部となってしまい、空堀は失われたと言う。戦後間もなくの航空写真を見ると確かに空堀らしいものが確認できる。結局今では遺構は残っておらず、門前の「大成館跡」の石碑が残るだけである。尚、普門院には大成領主であった旗本小栗忠政一族の墓が残っている。幕末の偉人の一人、小栗上野介忠順の直系の先祖である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.911742/139.612777/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
コメント 0