SSブログ

内藤氏陣屋(埼玉県久喜市) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN0792.JPG←陣屋跡の現況
 内藤氏陣屋は、栢山陣屋とも言い、徳川家の旗本内藤氏が築いた陣屋である。内藤氏の初四郎左衛門正成は、徳川家康の父広忠の代から仕えた武将で、弓・槍の名手として知られ、三河一向一揆の戦い・三方ヶ原の戦い姉川の戦い・小牧長久手の戦いなど家康の名だたる合戦に従軍して軍功著しく、徳川16神将に挙げられた。1590年に徳川氏が関東に移封となると、正成も家康に従って関東に移り、菖蒲・新堀・小林・栢山・三箇の5ヶ村5000石を拝領し、栢山に所領支配のための陣屋を造営した。1602年4月に正成がこの地で病に臥すと、2代将軍秀忠は侍医の久志本左京亮常衡を差し遣わして治療に当たらせるほど、将軍の信任を得ていた。1625年に旗本の府内宅地の制により、内藤家が江戸詰めとなってからも陣屋は置かれた。正成の孫・新五郎忠俊の時に改易となったが、正成の外孫・内藤外記正重が跡を継いで家名と所領は存続した。最終的には5700石まで加増され、幕末まで約280年間・14代にわたって大身旗本として続いた。

 内藤氏陣屋は、現在栢山小学校の校地となっている。久喜市の資料によれば、陣屋の範囲は小学校校地よりも更に西と南に広がっていらしく、北から北西辺にかけては二重の堀で囲まれ、南には2つの外郭があったらしい。現在はわずかに堀の名残の水路が残っているぐらいで、遺構は完全に湮滅している。小学校南に解説板があるだけである。尚、南西にある善宗寺に正成に始まる内藤一族の墓所がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.035418/139.579110/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


江戸の旗本事典 (角川ソフィア文庫)

江戸の旗本事典 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 小川 恭一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2016/01/23
  • メディア: 文庫


タグ:陣屋
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント