花井氏陣屋(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]
←菅沼定利の供養塔
花井氏陣屋は、旧本郷村を領した花井氏の陣屋である。花井氏の前は上野吉井城主菅沼氏の陣屋があった。菅沼小大膳定利は三河国額田郡菅沼の出身で、徳川氏に仕え、長篠の合戦で軍功を上げた。1582年、織田信長横死後の武田遺領争奪戦「天正壬午の乱」を経て信濃の過半が徳川氏の支配下となると、下伊那の飯田城に入って伊那郡を統括した。1590年に徳川家康が関東に移封となると、定利は吉井城主となり2万石を領し、本郷村も菅沼氏が支配するところとなった。菅沼氏は本郷字木の下に陣屋を置いたが、1603年に本郷村450石、榛沢新田村の一部50石、合計500石を菅沼氏と縁の深い花井伊賀守定清に与え、以後は花井氏の陣屋が置かれた。その後、1690年の花井勘左エ門の時に分家200石が足された。花井氏は本家300石、分家200石で続き、花井家14代吉十郎の時に明治維新を迎えた。
花井氏陣屋は、定光院の南にあったらしい。遺構は完全に湮滅し、一面の畑と宅地に変貌しているが、菅沼定利が開基した定光院に、花井家歴代の墓が残っている。また定光院の南の畑脇には菅沼定利の供養塔が残る。供養塔の解説板によれば、供養塔は陣屋の北端に建てられたらしく、供養塔の位置から南側が陣屋跡であるらしい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.170767/139.212162/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(場所は菅沼定利供養塔の位置)
花井氏陣屋は、旧本郷村を領した花井氏の陣屋である。花井氏の前は上野吉井城主菅沼氏の陣屋があった。菅沼小大膳定利は三河国額田郡菅沼の出身で、徳川氏に仕え、長篠の合戦で軍功を上げた。1582年、織田信長横死後の武田遺領争奪戦「天正壬午の乱」を経て信濃の過半が徳川氏の支配下となると、下伊那の飯田城に入って伊那郡を統括した。1590年に徳川家康が関東に移封となると、定利は吉井城主となり2万石を領し、本郷村も菅沼氏が支配するところとなった。菅沼氏は本郷字木の下に陣屋を置いたが、1603年に本郷村450石、榛沢新田村の一部50石、合計500石を菅沼氏と縁の深い花井伊賀守定清に与え、以後は花井氏の陣屋が置かれた。その後、1690年の花井勘左エ門の時に分家200石が足された。花井氏は本家300石、分家200石で続き、花井家14代吉十郎の時に明治維新を迎えた。
花井氏陣屋は、定光院の南にあったらしい。遺構は完全に湮滅し、一面の畑と宅地に変貌しているが、菅沼定利が開基した定光院に、花井家歴代の墓が残っている。また定光院の南の畑脇には菅沼定利の供養塔が残る。供養塔の解説板によれば、供養塔は陣屋の北端に建てられたらしく、供養塔の位置から南側が陣屋跡であるらしい。
花井家歴代の墓→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.170767/139.212162/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(場所は菅沼定利供養塔の位置)
タグ:陣屋
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