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小丸山城(長野県木曽町) [古城めぐり(長野)]

DSCN4250.JPG←主郭の現況
 小丸山城は、応永年間(1394~1428年)に木曽氏11代親豊が築いた城である。木曽氏は当初は須原に館を構えていたが、木曽谷の中心部で飛騨・伊那に通じる交通の要衝である福島に小丸山城を築き、親豊の長子信道を置いて小笠原氏や飛騨勢の侵攻に備えたと言われている。後に親豊は居城を小丸山城に移した。1509年には木曽氏17代義在が上之段城を築いて居城を移したが、小丸山城は支城としてそのまま存続していたらしい。1555年8月に武田信玄が木曽に侵攻すると、当主義康は上之段城に、その子義昌が小丸山城に立て籠もったが、抗しきれずに降伏し、城は戦火から免れた。その後の小丸山城の消息は不明である。

 小丸山城は、木曽川と八沢川に臨む段丘上に築かれている。現在NHKの基地局が立っている小高い丘が主郭で、その南東の木曽青峰高校の校地が二ノ郭であったらしい。また現在のJR木曽福島駅の場所が三ノ郭で、居館があったと言われる。現在は改変が進んでいて、地勢以外に城跡の痕跡は見られない。しかも主郭は柵で閉ざされていて入ることができず、それ以外の場所も民家があって内部探索はできない。解説板があるものの残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.846665/137.696296/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲信の戦国史:武田氏と山の民の興亡 (地域から見た戦国150年)

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タグ:中世崖端城
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