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仲深山砦(岐阜県恵那市) [古城めぐり(岐阜)]

DSCN0262.JPG←二ノ郭西側の曲輪群
 仲深山砦は、歴史不詳の城砦である。明知城との間にある万ヶ洞には信州からの街道が通り、関ヶ原合戦の後、近世明知遠山氏3代長景の庶兄遠山与惣左衛門が万ヶ洞に屋敷を構えたと伝えられるが、その屋敷というのがこの砦を指すのかは不明。ただ明知城とは縄張り面の共通点が多く、明知城の攻防に関連する城砦として、明知城を築いた勢力がこの砦を構築した可能性が考えられる。

 仲深山砦は、谷を挟んで南に隣接する丘陵西端部に築かれている。両者の間はわずか400m弱に過ぎない。恵那市は昨秋、山城サミットが開催されたばかりなので、各所の城砦は登道が整備され、薮払いもされている。おかげで仲深山砦も、南麓から登山道が整備され、城内も全域薮払いされているので見通しがよい。ただ伐採された幹や枝葉がそのまま散乱しているので、竪堀などの一部の遺構はやや確認しづらい状況である。砦は東西2郭で構成され、更にその周囲に腰曲輪・段曲輪・帯曲輪を築いて防御を固めている。東にあるのが主郭で、後部に低土塁を築き、郭内部は西に向かって傾斜している。背後の尾根には二重堀切を穿って分断している。主郭北東の帯曲輪には。等間隔で竪堀が3本穿たれている。主郭と二ノ郭の間は鞍部の堀切となっている。ここから南の斜面にも竪堀群が構築されているが、散乱した伐採木でややわかりにくい。二ノ郭の外周には腰曲輪が巡らされ、西と南西に段曲輪があり、小堀切が穿たれている。北側の帯曲輪にも竪堀が3本、間隔を空けて穿たれているが、城内最大の竪堀は薮に埋もれてしまっている。以上が仲深山砦の遺構で、竪堀群を活用した以外はそれほど技巧的な縄張りでもなく、あくまで補完的な城砦であったと考えられる。仮に武田氏による構築であると考えた場合、高遠城に対する的場城の縄張りと対比させると、この砦の性格を考える上で示唆されるものがあるだろう。
主郭北東の竪堀群→DSCN0347.JPG
DSCN0353.JPG←背後の二重堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.300197/137.394075/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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