宗円塚(栃木県宇都宮市) [その他の史跡巡り]
←宗円塚と呼ばれる古墳
宗円塚は、下野の名族宇都宮氏の初代とされる藤原(宇都宮)宗円の墓と言われている。但し、藤原宗円は実在が証明されておらず(宇都宮氏で実在が確認されているのは、2代宗綱からである)、半ば伝説上の人物であることは注意しなければならない。また宗円塚は古墳であるので、宗円が死んだ平安後期(1111年に没したと伝わる)とは築造の年代が大きく隔たっており、宗円の墓でないことは明らかとされる。
宗円塚は、宗円塚古墳群という丘陵上の小さな円墳群の一角にある。この古墳群の中で最も南東にあり、規模も最大の円墳である。前述の通り藤原宗円の墓とする伝承は後世の仮託に過ぎないが、宗円塚と同じ丘陵の北西には藤原宗円・宗綱父子が居住したとされる羽下城があるので、宗円伝説を色濃く残す地であることは間違いないようだ。
尚、宇都宮市内には宗円の墓と言われている場所が2ヶ所あり、一つがこの宗円塚で、もう一つは新里町の日枝神社南方にあるオカザキ山と言う小山である。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.583253/139.817451/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
宗円塚は、下野の名族宇都宮氏の初代とされる藤原(宇都宮)宗円の墓と言われている。但し、藤原宗円は実在が証明されておらず(宇都宮氏で実在が確認されているのは、2代宗綱からである)、半ば伝説上の人物であることは注意しなければならない。また宗円塚は古墳であるので、宗円が死んだ平安後期(1111年に没したと伝わる)とは築造の年代が大きく隔たっており、宗円の墓でないことは明らかとされる。
宗円塚は、宗円塚古墳群という丘陵上の小さな円墳群の一角にある。この古墳群の中で最も南東にあり、規模も最大の円墳である。前述の通り藤原宗円の墓とする伝承は後世の仮託に過ぎないが、宗円塚と同じ丘陵の北西には藤原宗円・宗綱父子が居住したとされる羽下城があるので、宗円伝説を色濃く残す地であることは間違いないようだ。
尚、宇都宮市内には宗円の墓と言われている場所が2ヶ所あり、一つがこの宗円塚で、もう一つは新里町の日枝神社南方にあるオカザキ山と言う小山である。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.583253/139.817451/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:墓所
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