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大和城(長野県諏訪市) [古城めぐり(長野)]

DSCN3421.JPG←虎口脇の石積み
 大和(おわ)城は、1469~1555年の86年間、金刺氏の庶流大和(大輪)監物の居城であったと伝えられる。諏訪大社上社・下社の抗争の時代に、下社勢力の東の境目を守る要地であったことが推測される。大和氏は、武田氏支配時代にも諏訪五拾騎の一人であり、下社勢の有力社人であったことが伺われる。

 大和城は、諏訪市と下諏訪町の境界線上にある標高940mの山上に築かれている。『信濃の山城と館』では南の雨明沢の脇の尾根筋が大手とされるが、登道はあまり明確ではなく途中で消滅している。しかも結構斜度が急で滑りやすいところを直登するように登っていかなければならない。城が近づくと祠が現れ、その上には帯曲輪らしい平場群が多数確認できる。主郭手前の虎口や主郭周囲には、石積みが残っている。主郭は長円形の曲輪で、後部に土塁が築かれている。北側の帯曲輪には竪堀も確認できる。主郭背後は堀切が穿たれ、その先の短い尾根の曲輪は畝状阻塞となっていて、北斜面に二重竪堀が落ちている。それらの後部にもう1本堀切が穿たれている。ここまでが本城域であるが、ここから西に登る尾根筋に、物見の遺構がある。物見の峰の手前に堀切が穿たれ、物見小郭の背後にも堀切が穿たれている。以上が大和城の遺構で、高木城よりは防御が固められているが、遺構を見る限りは物見の砦として機能していたと考えられる。
背後の二重竪堀→DSCN3472.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.064564/138.113744/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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