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蝦島楯(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5052.JPG←南端の堀切
 蝦島楯(蝦島館)は、西館とも言い、葛西氏の家臣蝦島氏の居城である。1590年の葛西大崎一揆では、流郷蝦島城主蝦島蔵人盛永は、栗原郡高清水の森原山に陣取った薄衣城主千葉甲斐守胤勝を大将とする葛西勢に加わったと伝えられる。

 蝦島楯は、飛ヶ沢地区の比高50m程の丘陵上に築かれている。丘陵東側を南北に貫通する市道の脇に標柱があり、そこから民家脇をすり抜けて途中まで小道が続いている。この道を登っていくと右手に腰曲輪らしい平場があり、その先は南に登る尾根を区画する横堀状の登城路となっている。この登城路から南に三ノ郭と思われる平場が伸び、南端が一段高く物見台となっており、その下に堀切が穿たれている。登城路の北には二ノ郭・主郭があるが、薮が酷くて遺構の確認が大変である。二ノ郭は主郭の南にあり、切岸だけで区画されている。二ノ郭の両側方には腰曲輪がある。主郭は丘陵中央部にある高台で、一部を除いて薮に埋もれている。主郭内の北端近くに祠があり、その周りだけ薮払いされている。主郭西側には虎口が確認できたが、薮が酷くて詳細な構造はわからなかった。主郭外周には腰曲輪が全周しているらしいが薮でよくわからなかった。また西側は腰曲輪が数段築かれているらしいが、これも激薮で踏査できていない。いずれにしても比較的小規模な館城である。
祠のある主郭→DSCN5066.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.787116/141.163030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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