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蒲沢楯(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5129.JPG←主郭・二ノ郭間の大堀切
 蒲沢楯(蒲沢館)は、下油田城とも言い、奥州千葉氏の一流で、流郷の旗頭的存在であった下油田千葉氏の居城と伝えられる。下油田千葉氏は、旗頭であった峠城主寺崎氏(峠千葉氏)の一門で、1439年に峠千葉氏の胤永の弟定時(右馬助)が流郷磐井郡下油田の蒲沢楯に分封されたことに始まる。1579年の峠城主寺崎良次と岩ヶ崎城主富沢直綱との抗争の際、下油田の千葉良胤・道胤父子が寺崎氏に加わって活躍し、道胤は戦功により加増を受けた。その後、父と共に栗原郡石越村に西門館を築いて居城を移したと言う。しかし別説では、蒲沢楯主は二階堂氏であったとも言われ、沢辺楯主であった沢辺氏(二階堂氏)が、所領を大崎氏に奪われると岩井郡黒沢村の霞館に移り、更に1448年に蒲沢楯に所領を移されたとも言われる。いずれにしても、葛西大崎一揆で葛西氏家臣団が壊滅したため、これら家臣の事績は多くが失われており、明確にできないのが実態である。

 蒲沢楯は、油島市民センター西側の比高50m程の丘陵上に築かれている。登道がわからなかったので、南麓に数軒並んだ民家の西側にある空き地を突っ切って、南西に伸びる尾根に取り付いて訪城した。丘陵頂部に主郭・二ノ郭が東西に並立し、それらからハの字に伸びた尾根に曲輪を連ねたハの字型をした構造である。主郭とニノ郭は大堀切で分断されており、一城別郭の縄張りとなっている。二ノ郭は、西から南にかけて横堀を穿ち、前面に虎口があって横堀に土橋を架けている。二ノ郭の南西には西郭が配置され、外周は切岸と腰曲輪が築かれている。主郭は背面を円弧状の横堀で防御している。この横堀外側の土塁は、ニノ郭の北東端からそのまま土塁が伸びて繋がっている。主郭の南東には南1郭・南2郭と曲輪が2つ連なり、南1郭の前面には堀切が穿たれ土橋が架かっている。南1郭・南2郭とも主郭東側まで続く腰曲輪が築かれている。南2郭の先端には物見台らしい高台がある。以上が蒲沢楯の遺構で、蝦島楯などと比べるとかなりしっかりした防御構造が備わっており、さすがは流郷の旗頭的豪族の居城であったと感心する。ただこの城も薮が多く、踏査は大変である。
南1郭の土橋→DSCN5171.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.812585/141.172171/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


東北の名城を歩く 北東北編: 青森・岩手・秋田

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