男沢城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]
←東郭外周の横堀・土塁
男沢城は、鷹鳥城とも言い、葛西氏の家臣及川一族の城である。1590年の葛西大崎一揆では、男沢城主及川主計正頼通が栗原郡高清水の森原山に陣取った薄衣城主千葉甲斐守胤勝を大将とする葛西勢に加わったと伝えられる。
男沢城は、標高66m、比高46mの館平という丘陵上に築かれている。西麓の豊龍神社脇の道から登城道があり、標柱も立っている。その先を登っていくと平坦な平場が広がっていて、これが二ノ郭に当たる。二ノ郭の中央には段差だけで区画された主郭が置かれ、環郭式の縄張りとなっている。二ノ郭の外側にも腰曲輪が築かれている。二ノ郭は、全体として方形に近い形状のようだが、東側中央部が外側に突出している。更にこの東側には急崖に面して東郭(出丸)がある。東郭は、規模は小さいが東に突出した物見台的な曲輪と考えられる。楕円形をした曲輪で、北から東側にかけての外周に円弧状の横堀・土塁が築かれている。以上が男沢城の遺構で、主郭・二ノ郭は耕作放棄地となっているので、一部を除き薮が多く、踏査不能の劇藪もある。いずれにしても比較的簡素な構造の館城だったと思われる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.814240/141.217339/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
男沢城は、鷹鳥城とも言い、葛西氏の家臣及川一族の城である。1590年の葛西大崎一揆では、男沢城主及川主計正頼通が栗原郡高清水の森原山に陣取った薄衣城主千葉甲斐守胤勝を大将とする葛西勢に加わったと伝えられる。
男沢城は、標高66m、比高46mの館平という丘陵上に築かれている。西麓の豊龍神社脇の道から登城道があり、標柱も立っている。その先を登っていくと平坦な平場が広がっていて、これが二ノ郭に当たる。二ノ郭の中央には段差だけで区画された主郭が置かれ、環郭式の縄張りとなっている。二ノ郭の外側にも腰曲輪が築かれている。二ノ郭は、全体として方形に近い形状のようだが、東側中央部が外側に突出している。更にこの東側には急崖に面して東郭(出丸)がある。東郭は、規模は小さいが東に突出した物見台的な曲輪と考えられる。楕円形をした曲輪で、北から東側にかけての外周に円弧状の横堀・土塁が築かれている。以上が男沢城の遺構で、主郭・二ノ郭は耕作放棄地となっているので、一部を除き薮が多く、踏査不能の劇藪もある。いずれにしても比較的簡素な構造の館城だったと思われる。
腰曲輪と二ノ郭切岸→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.814240/141.217339/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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