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西永井楯(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5874.JPG←主郭後部の横堀
 西永井楯(西永井館)は、内ノ目城・西館とも言い、戦国後期に永井氏の城であったと伝えられる。元々は、1457年に菅原春道が青葉山城から西永井楯に移居し、道慶に至るまでの居城となった。その後、1555~90年まで永井半左衛門の居城となったと言う。

 西永井楯は、比高50m程の丘陵上に築かれている。南麓には民家が立ち並んでいるので、民家のない東斜面を直登して訪城した。山頂に堀切で区画された主郭・二ノ郭を東西に並べ、その周囲に腰曲輪を築いている。主郭・二ノ郭ともに北面は急崖に面しており、北側だけ腰曲輪は築かれていない。主郭は後部が円弧状の塁線を描いており、その外側に横堀を穿っている。これら主郭前後の空堀は、北斜面に竪堀となって落ちており、主郭は空堀に沿って土塁を築いている。主郭はきれいに削平され、社が建てられている。二ノ郭と腰曲輪は、郭内が大きく傾斜している。二ノ郭・腰曲輪は、以前はどうも果樹園であったらしい。以上が西永井楯の遺構で、簡素な構造の比較的小さな館城である。
主郭~二ノ郭間の堀切→DSCN5910.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.799475/141.225407/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


地図でめぐる日本の城

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タグ:中世平山城
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