SSブログ

守山城周辺遺構群(富山県高岡市) [古城めぐり(富山)]

 守山城の項で記載した通り、二上山塊の広範囲に守山城の関連遺構が散在している。その内のいくつかを踏査したので、ここに記載する。

<向山屋敷>
DSCN8124.JPG←A郭東端の竪土塁
 向山屋敷は、守山城の大手道「殿様道」が通る尾根の東向かいの尾根南端部に築かれている。2つの尾根に挟まれた谷は「内輪子」と呼ばれ、ここには中下級の家臣団屋敷があったのではないかと推測されている。それに対し向山屋敷は、前田利長期の重臣クラスの家臣団屋敷の一つと考えられている。

 登道はないので、南の斜面を直登した。但し、眼の前の県道は車の往来が多いので、不審者と間違われないようにタイミングは見計らう必要がある。『守山城跡詳細調査概報1』の測量図を参照すると、屋敷跡と見られる大きな平場Aがあり、その東端に土塁が築かれている。土塁の東には上下2段の平場で構成されたB郭があり、ここにも竪土塁が築かれている。B郭の下方には腰曲輪的なC郭があり、竪堀が落ちている。またA郭の北東の尾根の北筋には堀切が2本穿たれており、堀切に挟まれた小郭は物見台のように思われる。それ以外はほとんど自然地形の尾根である。向山屋敷の西側下方には向山西屋敷、北側下方には対馬屋敷という平場が残るが、時間の都合で未踏査である。尚、対馬屋敷は前田対馬守長種の屋敷跡であった可能性があると言う。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.778054/137.004297/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<二上山城>
主郭→DSCN8390.JPG
 二上山城は、守山城の前身の城と推測されている。その存在が公にされたのは平成19年発行の『守山城跡範囲確認調査概報Ⅰ』の中である。そこでは、二上山城に大規模な曲輪や切岸がないことから、南北朝期から戦国前期にかけて構築・使用されたものと推測している。即ち、南北朝期の文献に出てくる「獅子頭」城とは、この二上山城のこととする説である。また神保慶宗期の史料には「二上城」「二上要害」と書かれ、天文年間(1532~55年)以降の神保長職期になって初めて「守山城」の名が現れることから、天文年間になって現在の守山城が新たに構築されたとの説を提示している。

 二上山城は、標高274mの二上山に築かれている。現在遊歩道が整備されている。山頂の主郭には日吉神社の祠がある。遊歩道設営による改変が多いため、主郭以外に見るべき遺構は少ない。主郭は南北に長い平場であるが、土塁等は見られない。北東と南西には段曲輪らしい小さい平場がある。南西の尾根には片堀切も含めて6本の堀切があるとされるが、自然地形とほとんど区別がつかない。また主郭から北西の遊歩道を下っていくと、下の方に小郭と堀切があるとされるが、薮のせいもあってこれも判然としない。その更に下には薮に覆われた広い平場があるが、遺構かどうかは明確ではないらしい。以上のような感じで、砦レベルのものはあったかもしれないが、同じ南北朝期創築の千代ヶ様城などと比べても、遺構面で見劣りする。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.789981/137.015433/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<摩頂山南砦>
DSCN8486.JPG←畝状空堀の一つ
 摩頂山南砦は、二上山と摩頂山の中間にある標高240m程の峰に築かれている。守山城の関連遺構とも考えられるが、東方への備えを持った縄張りであることから、北西にある摩頂山城を守る拠点としての性格が強いのではないかとの説が提示されている。

 摩頂山南砦は、南北に走る細尾根上に主郭を含む2つの曲輪を置き、その南から西に伸びる尾根筋と、主郭の東下方に遺構を配置している。主郭もその北にある曲輪も、大した面積はなく居住性はない。西尾根は、尾根の付け根に両側にハの字に落ちる竪堀を穿っている。尾根途中は自然地形だが、先端近くに小堀切があり、その先には物見台、堀切の南側下方には腰曲輪を築いている。腰曲輪の両側から竪堀が落ちている。一方、主郭の東下方には複雑な遺構がある。主尾根の東直下に幅広の横堀が穿たれ、その脇に腰曲輪が置かれている。腰曲輪の東辺は一段高い土壇状の幅のある曲輪となっているが、ここを3本の空堀(畝状空堀)で刻んでいる。その東にも横堀が穿たれ、3本の畝状空堀はこの横堀に直交している。更にその東には帯曲輪があり、もう1本の横堀で東側を分断している。曲輪内部を刻む畝状空堀は、富山県内では升形城・中村山城・広瀬城などに類例があると言う。いずれも天正年間(1573~92年)の上杉氏・佐々氏の城であったことから、摩頂山南砦も戦国末期の遺構と推測されるようである。基本は細尾根城郭であるが、空堀群を組み合わせた遺構は特異である。
 尚、道はないので適当に斜面に取り付くしか砦に行く方法はない。しかも当然、内部は薮である。
畝状空堀の東にある横堀→DSCN8497.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.793555/137.014189/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集〈3〉西部(氷見市・高岡市・小矢部市・礪波市・南礪市)・補遺編

越中中世城郭図面集〈3〉西部(氷見市・高岡市・小矢部市・礪波市・南礪市)・補遺編

  • 作者: 佐伯 哲也
  • 出版社/メーカー: 桂書房
  • 発売日: 2013/12/01
  • メディア: 大型本


タグ:中世山城
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント