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高倉城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9981.JPG←主郭群東の横掘
 高倉城は、西永井館とも言い、葛西晴信の家臣加瀬谷三河の居城と伝えられる。加瀬谷氏の事績は不明である。

 高倉城は、高倉山丘陵の東に張り出した標高100m弱の小山に築かれている。登り口はわかりにくいが、南東麓の民有地の小屋の脇に奥へ登っていく道があり、それを辿ると北西の斜面を登る獣道に至り、それを登ると三ノ郭腰曲輪の虎口に到達する。城は、最高所に主郭を置き、南に二ノ郭・三ノ郭を配置している。主郭は外周に2~3段の腰曲輪を廻らし、上段の腰曲輪と二ノ郭との間に堀切を穿ち、中央に土橋を架けている。この虎口の両側には土塁を築いて防御している。主郭の2段目の腰曲輪は、二ノ郭との間の堀切に繋がっている。二ノ郭と三ノ郭との間も堀切で区画されている。二ノ郭の両側には腰曲輪があるが、東のものはそのまま三ノ郭東まで繋がっている。この腰曲輪に虎口があり、最初に書いた獣道はここに繋がっている。また主郭群の東側には横堀が穿たれているが、横掘になっているのは一部だけで、他は腰曲輪状を呈している。この他にも『岩手県中世城館跡分布調査報告書』の縄張図では、更に北東に曲輪・横掘や、西の尾根鞍部に堀切などの遺構があるようだが、城内は薮と倒竹地獄で踏査が困難である上、遺構も見劣りするものだったので、戦意喪失して未確認のまま撤退した。
主郭腰曲輪に架かる土橋→DSCN9944.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.758476/141.232274/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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