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松尾古城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]

DSC02674.JPG←主郭の石積み、周囲には
                          崩れた石が散乱している
 松尾古城は、真田の庄の最東北方面の奥地である角間渓谷の入り口、上州との交通の要衝に築かれた山城である。城の由緒は定かではないが、真田氏の草創の頃の城であったと伝えられている。麓には日向畑遺跡というものがあり、真田氏由来とされる五輪塔十数基があり、またその付近は真田氏の最初の居館があったという。時代が下って、真田幸隆が甲斐武田氏に仕えるようになると、真田氏は上州に勢力を伸ばし西上野の経略を信玄から任されるようになるため、真田氏にとっては、本拠の真田の庄と上州とを結ぶ繋ぎの城の一つになったのではないかと考えられる。また一方で信玄亡き後の武田氏の衰退の中で信濃も他の大名に圧迫され始めると、真田氏としても安穏としてはいられなくなったであろうから、真田の庄全域の詰の城としての機能も合わせ持ったのではないだろうか?
 城は松尾山の中腹に築かれており、南西に延びた尾根沿いに直登する道が登山道として整備されている。日向畑遺跡から登ること約20分で城の中枢部に至る。ネットでの事前調査では、かなり息が上がる登城のきつい城とのことであったが、途中にも崩れた石積み跡があったりして、そういう遺構を確認しながら登るとなんと言うこともなく城まで登ることができたという感じで、別段きつい印象はなかった。何しろ、午前中にあの葛尾城のきつい登山道を4~50分かけて登った後なので、それに比べれば楽勝という印象であった。主郭を始めとして曲輪の到る所に石積みが残る城で、一部はかなり崩落しているものの非常に見応えがある。主郭背後は、真田の庄の城共通の特徴である、大規模な堀切で防御している。この堀切はそのまま竪堀となって、斜面を下っている。主郭以外では馬場とされる曲輪など、詰の城にしては結構広い曲輪もあり、真田の庄の城としては、石積みの規模といい、かなり大型の城である。それだけ重要であったということであろう。
登城の途中にある石積み→DSC02627.JPG
     かなり崩れている
DSC02651.JPG←馬場とされる曲輪
主郭背後の大堀切→DSC02705.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.458483/138.342354/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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