SSブログ

伊佐城(茨城県筑西市) [古城めぐり(茨城)]

DSC04545.JPG←土塁跡?
 伊佐城は、伊達氏の一族伊佐氏の居城である。もともと伊達氏の本領は常陸のこの地であったが、源頼朝の奥州征伐の戦功で奥州伊達郡に所領を得て、伊佐と伊達の2流に分かれたらしい。伊達氏が史上有名になるのは、南北朝動乱の際、伊達行朝が南朝側について、北畠顕家の奥州経営の有力な武将となった時である。多賀城霊山と本拠を移し、更に足利尊氏討伐のため二度に渡って京都遠征を行った顕家を、行朝は一貫して支えた。顕家敗死後、関東経営のため常陸に下った北畠親房を援護するため、行朝は同族のいる伊佐城に移って北朝軍と戦い続けたが、衆寡敵せず降伏した。
 伊佐城はこのときに廃城になったようだが、もともとは藤原秀郷が平将門討伐のために、下館地域に上館・中館・下館の3城を築き、伊佐城はその中館に当たるといわれており、この城の周囲には現在でも中館の地名が残っている。城跡は現在観音寺という寺などの敷地になっているため、遺構はほとんど残っていない。周辺に土塁の名残らしき地形と堀跡と思われる道路がある以外は、ほとんどそれらしき痕跡は見出せないし、この土塁跡らしきものも境内を整備した際の盛り土なのかもしれない。
 南北朝史では有名なだけに残念な城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.332811/139.976034/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0