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長崎城(山形県中山町) [古城めぐり(山形)]

DSC05557.JPG←本丸跡の大銀杏
 長崎城は長崎館ともいい、寒河江大江氏の家臣中山氏の築いた城である。鎌倉幕府初期の功臣大江広元の子、親広は京都守護であった関係からか承久の乱の際に後鳥羽上皇方について敗れ、所領の寒河江荘に逃れて蟄居し、そのまま寒河江大江氏の祖となった。その際に共に下向した部将が中山忠義で、その子孫の中山継信は1384年、東に進出して長崎城を築城した。1445年3代城主中山宗朝の時には、外濠をめぐらした輪郭式の平城が完成した。その後、寒河江氏が最上氏に滅ぼされると中山氏は最上氏に臣従し、最上義光の庄内侵攻でも時の当主中山玄蕃朝正は部将の一人として活躍し、尾浦城の城将となって庄内諸豪の目付け役とされた。しかしその後、越後の本庄繁長が庄内に侵攻し、十五里ケ原の戦いで最上軍が大敗を喫すると、朝正は山形に撤退して長崎城に戻った。そして最終的に城は最上氏の改易に伴って廃城となった。
 長崎城は国道112号線沿いにあり、市街化によって城の遺構はほとんど湮滅している。わずかに長崎城本丸の館の庭前にあったという大銀杏が残っているほか、城域の最西端にかつての外堀跡と考えられる川が流れている。また、国道の交差点には「館」、周囲には「北小路」「西小路」「南小路」など、城跡だったことを物語る地名が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.333611/140.279210/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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