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高楯城(山形県山辺町) [古城めぐり(山形)]

DSC05535.JPG←本丸の切岸跡?
 高楯城は、山野辺城のすぐ北隣にある。甲斐武田氏の一族武田信安によって1449年に築かれた。信安は甲斐の虎武田信玄の祖父の弟に当たる人物で、同じ源氏のよしみで最上氏を頼ってきたという。
 同じ源氏と言っても家系はかなり遠い。最上氏は、清和源氏の嫡流足利氏の一族で室町幕府三管領家の名門、斯波氏の流れを汲む。一方の甲斐源氏武田氏は、八幡太郎源義家の弟、新羅三郎義光を祖とする。常陸の豪族佐竹氏と同じ義光流なので、佐竹氏の方がまだ家系的には近い。なぜわざわざ遠い奥州の最上氏を頼ったのかは疑問が残る。さて閑話休題。
 武田信安の死後、高楯城は高楯遠江守正福が最上家の重臣として1万2千石で入封し、三ノ丸まで持つ平山城として城を整備した。正福は1615年の大坂夏の陣で最上軍として出陣し、57歳で討死した。
 高楯城本丸は、山野辺城本丸からわずか300mほどしか離れておらず、なぜこの地に城を築いたのかはわからないようだ。現在本丸跡は天満神社が置かれ、周囲を見下ろす高台に位置している。周囲は山野辺城同様、完全に市街化し、往時の姿を思い浮かべるよすがは何もない。わずかに天満神社北西の急斜面が、往時の切岸を想起させるのみである。それ以外では周辺道路がかつての堀跡と思われるが、どのような縄張りであったのかは想像すら難しい状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.299772/140.265369/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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