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十五里ヶ原古戦場(山形県鶴岡市) [その他の史跡巡り]

DSC06224.JPG←古戦場に眠る東禅寺右馬頭の墓
 十五里ヶ原の戦いは、最上氏と越後上杉氏との庄内争奪戦の画期となった戦いである。
 戦国末期、最上義光は北への侵攻を推し進め、庄内の大宝寺氏(武藤氏)を謀略で下し、庄内を一旦は手中に収めた。しかし、庄内の南に隣接する越後の本庄氏はかねてから庄内地方に影響力を持っており、最上義光に滅ぼされた大宝寺義興の養子義勝は実は本庄繁長の実子であった。そのため、庄内を手に入れて次なる目標を南の伊達政宗との抗争においた義光の視線が南に向けられると、上杉景勝の意を受けた本庄繁長の反撃が始まることとなった。そして本庄繁長・大宝寺義勝親子の率いる上杉軍と中山玄蕃・東禅寺筑前守率いる最上軍は、1588年(天正16年)8月にこの十五里ヶ原で激突した。東禅寺筑前は弟の右馬頭を大将として本庄の大軍を迎え撃ったが、本庄軍の猛攻の前に最上軍は大敗を喫した。右馬頭は劣勢にあっても意気盛んで、一矢報いんと自ら敵陣に斬り込み、本庄繁長に一太刀浴びせかけたが目的を達せず悲壮な最期を遂げたという。
 その後最上軍は敗退しつつも体勢を立て直して黒瀬で最終決戦に臨んだが、黒瀬川の戦いでも大敗して庄内より撤退、最上義光は完全に庄内を失う事となった。

 十五里ヶ原古戦場は国道112号線沿いのガソリンスタンドの裏手にある。細い路地状の入口には古戦場の標柱が建ち、その奥にぽつんとこの戦いで壮絶な最期を遂げた東禅寺右馬頭の墓が建っている。古戦場一帯はのどかな田園風景が広がり、かつての戦いもうたかたの夢のようだ。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.747641/139.787850/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:古戦場
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