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鶴ヶ岡城(山形県鶴岡市) [古城めぐり(山形)]

DSC06142.JPG←本丸南側の水堀
 鶴ヶ岡城は古くは大宝寺城と呼ばれ、大宝寺氏(武藤氏)の居城である。武藤氏は、源頼朝の奥州征伐の功でこの地を与えられたが、武藤氏の嫡統たる武藤資頼は太宰少弐に任ぜられて九州に下り、少弐氏となった(南北朝期の鎮西の三豪の一)。一方、弟の氏平がこの地には入り、後に大宝寺氏を称するようになった。庄内の中心に大宝寺城を築いて本拠としたが、庶流の砂越氏との対立などもあり、庄内全域を掌握するほどの力を持たなかった。戦国末期になると、庄内は最上氏と上杉氏(の家臣本庄氏)との争奪の場となり、豊臣秀吉が全国統一した時には、大宝寺氏は上杉氏の配下となっていた。関ヶ原の戦いの後、戦功で庄内を手中にした最上義光は、大宝寺城を鶴ヶ岡城と改称し、城下町の整備を行った。最上氏改易の後は、徳川譜代の酒井忠勝が入って庄内藩となって幕末まで存続した。

 城は現在鶴岡公園となって、本丸跡には荘内神社が置かれている。環郭式の縄張りで、本丸の水堀はほぼ全周が、二ノ丸の水堀は約半分が残っていて、所々に土塁や櫓台跡も残っている。ただ残念なのは、結構土塁の形状が変えられてしまっていて、石垣も当時のものではなく、公園化に伴って新しく作りかえられてしまっていることである。新庄城と同じく門跡などの標柱があちこちに立てられていて非常にありがたいが、古城という情緒はやや希薄になってしまっている。都市公園に変貌して街中に溶け込んでいる城跡である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.728292/139.824479/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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