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阿久津城(栃木県高根沢町) [古城めぐり(栃木)]

DSC08756.JPG←東側の横堀と土塁
 阿久津城は、太平記に名高い宇都宮氏9代公綱の家臣野沢若狭守が1348年に築いたと言われている。宇都宮城北方の防衛拠点であった勝山城の支城として機能したと思われる。しかしこの城に関する記録は極めて少ないようで、最終的には1597年の宇都宮氏の改易に伴って廃城になったという。
 城は、宝積寺台地が南北に伸びる内の、一番くびれて幅が狭くなった部分に築かれている(一番狭い部分の幅は100m程しかない)。台地上に築かれる大抵の城は台地の先端を利用して、三方が崖という地勢に築かれるものだが、この城は非常に変わっており、南北に長く台地が続く真ん中に位置している。それゆえ縄張りも独特で、南北に曲輪を連ね、主要な曲輪の間を横堀で分断している。東西の斜面には何本かの竪堀を作り、特に東側には帯郭や横堀、土塁を構築して防御に力を入れている。城域の南東端近くには八幡宮があるが、その北側の裏手にも土塁と空堀が残っている。主郭ははっきりしないが、どうやら中央の曲輪らしい。しかし特に主郭を重点的に防御しようという意思もないようである。北に続く台地は横堀で城域と分断しているが、南続きの台地にはそれがなく、この方面はあまり防御を意識していないようだ。この城は、一部の曲輪が畑になっているほかは深い薮に埋もれていて、冬場でも曲輪の全貌を捉えることができない。主郭と思われる曲輪も、とても中に突入できる状態ではなかった。しかも、この城の中央を南北にJR宇都宮線が通っているため破壊を受けており、線路の左右の曲輪が一つの曲輪だったのか、元々二つに分かれていたのかも定かではなく、結果として、もともとの曲輪の数も特定できない。全体的に防御思想のはっきりしない城で(こういう縄張りを「求心性がない」というらしいが)、群郭式のような縄張りに思える。
 破壊を受けていない部分は遺構の残りが良いだけに、深い薮が恨めしい城である。
東斜面の竪堀→DSC08761.JPG
DSC08774.JPG←第2郭?奥の林が主郭らしい
主郭北側の横堀→DSC08788.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(薮の分、減点)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.642580/139.976978/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

ほんとに藪が恨めしいですね。もともと一つが、JRのおかげで2つ
になったんでしょうね。なんてったて分割民営化ですから???
すみません意味不明で。
by ノリパ (2009-02-13 17:47) 

アテンザ23Z

ははは。うまいですね!
栃木の人は里山を手入れしないので、
城歩きも大変です。
by アテンザ23Z (2009-02-13 19:17) 

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