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下南摩城下の城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02516.JPG←主郭背後の堀切
 下南摩城は、滝尾山城ともいい南摩氏の居城である。南摩氏には二流あり、上南摩を領した佐野氏系南摩氏に対して、下南摩を領したのは皆川氏の家臣筋の流れを引く南摩氏である。下南摩郷はもともと皆川氏家臣の高木讃岐規衡の領地であったが、主家皆川氏と不和になり佐野氏の庶流赤見広孝を迎え入れて城主とし、広孝は姓を南摩に改めて滝尾山の麓に居を構えたと言う(おそらく下南摩城下の城のこと)。孫の南摩百十郎秀村は1576年に滝尾山頂に新たに城を構えた(下南摩城上の城)。秀村が病没すると南摩氏は壬生氏の配下となったが、1590年に小田原の役で北条氏に組した壬生氏が廃されると、下南摩城も廃城となった。
 下南摩城は、滝尾山麓にある下の城と山頂に築かれた上の城があり、二城が連携して別城一郭の構えを成して防御性を高めている。こういう城は栃木県内では珍しい。上南摩城も上・下の城があるが、まるで南摩地域の土豪は別城一郭についてのこだわりでも持っているかの様で面白い。下南摩城下の城はおそらく居館に当たると思われるが、その構えは完全に山城の形態で、土塁で囲まれた主郭を中心に何段もの腰曲輪が周囲を取り巻いている。特に傾斜の緩やかな西側斜面には、横堀や明確な虎口を持った腰曲輪が展開しており、家臣団の居館もあったのではないだろうか?主郭背後には上の城につながる尾根筋を分断する見事な四重堀切もある。その内の1本は、屈曲して横矢まで掛かると言う念の入りようである。なかなか充実した縄張で一見の価値がある。
腰曲輪の虎口→DSC02528.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.520919/139.709614/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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コメント 2

ノリパ

その縄張りを山の中で見られたアテンザ23Zさんに乾杯してます。
四重の堀切想像がつかないですね。というかそれがしが見に行っても
見つけられないような気がする・・・
by ノリパ (2009-05-04 18:21) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
栃木あたりの山城でも、これだけの縄張りが見られるとは
正直思いませんでした。
鹿沼の城はすごいです。
by アテンザ23Z (2009-05-05 00:56) 

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