下横倉城(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]
←曲輪間の横堀、奥は土橋・虎口
下横倉城は、宇都宮氏の家臣横倉氏の居城と言われている。徳次郎城・石那田館などと共に、宇都宮領の北の護りを担っていたと考えられる。宇都宮市北部の丘陵が、田川に面した突端部の平らな部分に築かれた山城で、東側にも谷があってあたかも独立丘陵のような要害地形に築かれている。
下横倉城は2つの曲輪で構成されており、不整形な方形状の北側の曲輪と三角形状の南側の曲輪が堀を挟んで並んだ形をしている。どちらが主郭かはよくわからない。両方の曲輪とも周囲を土塁と空堀で防御している。一部には横矢が掛かっているが、それほど厳重なものには見えない。2つの曲輪は良く削平されていて、そこそこの広さも持ち、城主が常に住んでいたことが伺われる。
なお山道が北東から空堀に繋がっていて、森林伐採のための軽トラが入ってきた形跡がある。大きな城ではないが遺構がよく残っているので、今後も破壊されないことを祈る。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.634333/139.862030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
下横倉城は、宇都宮氏の家臣横倉氏の居城と言われている。徳次郎城・石那田館などと共に、宇都宮領の北の護りを担っていたと考えられる。宇都宮市北部の丘陵が、田川に面した突端部の平らな部分に築かれた山城で、東側にも谷があってあたかも独立丘陵のような要害地形に築かれている。
下横倉城は2つの曲輪で構成されており、不整形な方形状の北側の曲輪と三角形状の南側の曲輪が堀を挟んで並んだ形をしている。どちらが主郭かはよくわからない。両方の曲輪とも周囲を土塁と空堀で防御している。一部には横矢が掛かっているが、それほど厳重なものには見えない。2つの曲輪は良く削平されていて、そこそこの広さも持ち、城主が常に住んでいたことが伺われる。
なお山道が北東から空堀に繋がっていて、森林伐採のための軽トラが入ってきた形跡がある。大きな城ではないが遺構がよく残っているので、今後も破壊されないことを祈る。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.634333/139.862030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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