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日尾城(埼玉県小鹿野町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC04768.JPG←八幡郭北側の堀切と曲輪
 日尾城は、日尾集落の南の山間部、牛首峠近くに築かれた山城である。一説では主家山内上杉氏に反旗を翻した長尾景春の支城の一つとも言われ、太田道灌に攻められて秩父地方を転戦した景春は、高松城→日尾城→熊倉城と敗走したともされている。しかしこの城が歴史上、はっきりと現れてくるのは、小田原北条氏と甲斐武田氏との西上野・秩父方面を巡る抗争の中である。鉢形城に本拠を置く北条氏邦が西武蔵の最西方を守る拠点として、天神山城虎ヶ岡城・高松城・横瀬根古屋城などと共に築城整備したとされる。城主は、鉢形北条氏の筆頭家老の諏訪部氏と伝えられ、この城の重要性がよくわかる人選である。一時期は武田方に城を奪われたこともあるらしいが、結局は北条氏の城として1590年鉢形城落城と共に廃城となった。

 日尾城には、根古屋であった北側の日尾集落から登るルートと南側の観音院から登るルートの2つがあるが、観音院ルートの方が途中まで車で登れるので早い。爽やかな渓流沿いの峠道を登って断崖の裂け目にできた牛首峠に至れば、もうそこは日尾城の城域である。城の主要部は峠の東側にあり、南北の櫓台の間に築かれた階段状の4段の平場が本郭とされる。本郭背後は二つの櫓台をつなぐ尾根が天然の土塁となって防御している。北側の櫓台は城山八幡が祀られた八幡郭で、西に何段かの段曲輪が続くほか、東側にも小さな腰曲輪がある。八幡郭の北側は急斜面になっているが、その下に堀切を挟んで小曲輪がある。一方、本郭南側にそびえる櫓台は北側のものより面積が広く大きい。その西側に広く平坦な出郭を伴う。牛首峠の両側は断崖上の痩せ尾根で、曲輪という広さはないが峠道を監視する物見の役は果たしたのだろう。峠の西側の痩せ尾根上をちょっと行った先にも曲輪があり、その先は断層が天然の堀切となって尾根筋を分断している。

 城の構造からして、秩父から信濃につながる道を掌握し監視すると共に、冬場の兵の駐屯も可能にした防衛拠点であったようだ。
左右を櫓台に挟まれた本郭→DSC04736.JPG
DSC04737.JPG←本郭から見た八幡郭

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.046250/138.950641/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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