SSブログ

左沢楯山城 その2(山形県大江町) [古城めぐり(山形)]

DSC16316.JPG←八幡座(主郭)
 2009年最初の山形訪城に選んだのは、左沢楯山城である。この城は既に昨夏訪れているが、予想以上に遺構が広範囲にわたっていて見れなかった部分が多々あったのと、昨年国の指定史跡に指定されたので、整備が進んでいることが予想されたため、改めて訪城した。
 楯山公園に着くと、解説板が新しくなっており、縄張図も一新されて曲輪の名称も改められていた。内容は次の通りである。

 (旧称)    (新名称)
  本丸   →  八幡座
  二ノ丸  →  千畳敷
  三ノ丸  →  八幡平

これら以外に、寺屋敷、鉄砲場、的場の名称の付いた曲輪が記載されている。

 今回は藪に埋もれる前に訪れたので、ほぼ全域歩くことができた。左沢楯山城は、全域に無数の曲輪が展開し、現在に残るほんのわずかな面積の平場もかつての曲輪であったらしい。堀切は、千畳敷と鉄砲場という曲輪の間に一つだけ存在するが、それ以外に防御構造はほとんど見ることができない。主郭に当たる八幡座の東には、結構な広さの段曲輪群が展開し、更にその東側には、寺屋敷と呼ばれる広大な曲輪が存在する。これは城主の権威を示すために沢を挟んだ対岸から良く見えるように大型の建物が建てられ、池の跡も発見されたそうである。また八幡座の北西にも北出丸とも言うべき多数の曲輪群が展開している。ほぼ全山、曲輪で埋め尽くされているようである。地方領主の詰城というよりも、領民全てを城の中に囲い込んだような城だと感じられる。
 史跡指定されたばかりのせいか、まだ藪のひどい場所も多く、特に八幡平から千畳敷に至る曲輪群を突っ切るのには苦労した。今後の整備に期待したい。
城内唯一の堀切→DSC16259.JPG
DSC16295.JPG←北出丸
広大な寺屋敷→DSC16337.JPG
DSC16348.JPG←八幡座東の段曲輪群
一新された縄張図→DSC16238.JPG

nice!(4)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 2

ノリパ

なんで、新名称にしたんですかね。新たな史料が出て
きて縄張りとか、名称とかが判明した、といった感じ
ですかね。
by ノリパ (2009-06-24 22:36) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
新名称になった理由は私にもよくわかりません。地元にそういう名前が残っていたのでしょうか?
ただ、曲輪の数が多く、しかも広範囲にわたりすぎていて、以前の名称では実情にそぐわなかったことはあったと思います。
by アテンザ23Z (2009-06-26 00:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0