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鬼甲城(山形県村山市) [古城めぐり(山形)]

DSC08146.JPG←本丸北西の空堀
 鬼甲城は、富並城とも言い、最上川の支流富並川右岸の丘陵上に築かれた平山城である。平安時代後期に、源頼義が陸奥守として東北に居た時、落浜入道大林が築城し、頼義軍と戦って攻め滅ぼされたという伝承が残っているが定かではない。『最上義光分限帳』には、「一 富並 高千石 富並彦一郎」とあり、鬼甲城主と考えられ、最上氏傘下にあったことがわかる。それ以外の歴史は不明である。
 鬼甲城が築かれた丘陵は、比高70m程で全体的には緩やかな傾斜で囲まれているが、富並川に面する城の来た北側だけは急斜面の断崖を成しており、その面から見れば崖端城に近い。最上部に本丸を置き、その周囲は空堀で防御している。空堀はかなり藪で埋もれていてわかりにくいが、本丸北西側の空堀は規模が大きく、薬研掘の形状がよく残っていて見ものである。空堀を越えた南西側に二ノ丸を構えている。二ノ丸から本丸へは土橋が明確な搦手口となっている。大手は本丸東側であり、こちらには緩斜面に沿って、何段もの腰曲輪が構築されている。しかし皆耕地化されているので、構成の改変を受けている可能性もある。本丸の大手側切岸には「表門石垣跡」の標識が立つが、早春でも既に草に覆われてほとんど確認できない。東側腰曲輪群の先に広がる平坦地は、かつての家臣団の屋敷地であったようだが、現在は全て畑となっている。
 本丸以外は全体に藪が多く、遺構の確認が非常にしづらいのが残念。割と平坦な平山城で、地域の統治拠点としての機能を重視した城だったようである。
本丸東側の腰曲輪群→DSC08222.JPG
DSC08179.JPG←石垣があるらしいのだが・・・

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.538611/140.340555/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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