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高坂館(埼玉県東松山市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC01981.JPG←高済寺西側の土塁と空堀
 高坂館は、都幾川に臨む河岸段丘上に築かれた居館で、高坂刑部大輔が居住したと伝わっている。高坂氏は秩父氏の一族であり、江戸氏の流れを汲む古くからの在地豪族で小田原北条氏に仕えたと言われている。北条氏滅亡後は、この地に加賀爪氏が陣屋を構えた。加賀爪氏は、政尚が徳川家康に仕えて、長久手の戦い、小田原征伐に戦功があり、武蔵比企と相模高座において3千石を領した。その子忠澄は関ヶ原の戦い、大阪の陣で戦功があり、5千5百石を領して江戸町奉行に登用された。その後、忠澄は成瀬氏との間で領地問題を起こし、1681年に領地を没収された。
 高坂館は、現在高済寺の境内となるほか宅地や耕地となっているが、高済寺西側には土塁と空堀が極めて良好に残っている。この土塁は元々古墳があったものを利用したらしく、居館としては異例なぐらい大きな土塁で、高さは最高部で5m程もある。空堀も規模が比較的大きく見事である。館域の南半分は宅地化と耕地化のため遺構はかなり湮滅しているが、それでも堀跡らしい跡が散見される。なかなか重厚な防御構造を持った居館である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.006704/139.401612/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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コメント 4

fuzzy

2010年、古城巡りは埼玉からで光栄です。アテンザさんの記事で後北条の勢力範図に改めて感心させられます、早雲の関東に覇をなすを具現化しようと侵攻を繰り拡げていたのですね。小説の多くが北条氏を敵としているのが影響し人気に繋がらないのが残念ですね。
by fuzzy (2010-01-06 11:59) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
常陸の佐竹氏と安房の里見氏と下野北半が残っているだけで、
その広大な版図はほとんど関八州の制圧目前でしたから、
北条ファンとしては名胡桃城事件が残念でなりません。

by アテンザ23Z (2010-01-06 15:21) 

fuzzy

名胡桃城の件はまんまと秀吉&昌幸に嵌められ、北条氏滅亡を招くきっかけとなったものですね、多分北条氏が早い段階で屈服していれば滅亡は免れたと思います。アテンザさんには残念なことですがり、やや時勢が読めなかったことは否めません。その点伊達氏はうまいこと乗切りましたね。
by fuzzy (2010-01-06 18:55) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
そうなんです。やはり北条氏政がウツケだったんでしょうか。
もっと中央の情勢や彼我の勢力差を客観的に分析できていれば、
ほかの対処法もあったろうという気がしてなりません。
by アテンザ23Z (2010-01-07 00:10) 

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