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陣ヶ岡(岩手県紫波町) [その他の史跡巡り]

DSC03221.JPG←日の輪形、月の輪形
 陣ヶ岡は、前九年の役の際に厨川柵を攻める源頼義・義家父子が陣営を敷いたと伝えられる、源氏の聖地である。標高136m、比高20m程の独立丘陵で、平地の只中にある。その地勢から、古来より多くの武将がこの地に拠って陣営を敷いた。頼義はこの地で、安倍貞任を討ち滅ぼし、その首を晒した。また古くは征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討の宿営を張ったとも言う。時代が下って、源頼朝は奥州平泉の藤原氏征伐の際、前九年の役の故事に倣いこの地に総勢28万4千騎を集結させ、藤原氏最後の当主泰衡の首を掛けた。戦国時代には、高水寺斯波氏の居城高水寺城を攻める南部信直がやはりこの地に陣営を敷き、豊臣秀吉の時代になると、蒲生氏郷が九戸の乱討伐の先陣としてこの地に陣を敷いたと伝えられる。

 陣ヶ岡は、現在史跡公園として整備されており、蜂神社の周囲に多くの標柱や解説板が立っている。また斜面を西に下ると、横堀遺構があり、八幡太郎源義家の築いた陣営の遺構とされる。この陣営は「八門遁甲陣」と言い、古代中国の兵書六韜三略(偽書)を習得した義家がその奥義によって築いたという、ものすごい眉唾物の話が伝わっている。何でも、後に頼朝がこの地に来た時、甲斐源氏武田信光と北陸軍の将宇佐美実政が陣跡を調査して、それぞれ武田流大正奇正長蛇の陣法、上杉流八陣車懸りの備えとして二家独特の兵法となったとか何とか・・・。さらに下って西の平坦地に出ると、源頼義が吉兆の礼として築いた「日の輪形、月の輪形」が残っている。これは今から900年以上も前のもので、そんな古いものがいまだに大切にされて明瞭に残っているのが、信じ難い程である。東の麓には藤原泰衡の首を洗ったと言う「首洗い井戸」も残る。この地はまさに史跡の宝庫であるようだ。
陣跡の横堀→DSC03248.JPG
DSC03212.JPG←藤原泰衡の首洗い井戸

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.570201/141.141808/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

陣ヶ岡は正に歴史の宝庫ですね、源氏に纏わる話や九戸の乱の話、古くは蝦夷の時代から豊臣の時代まで、蝦夷VS中央政権の舞台にワクワクしてきます。
by fuzzy (2010-02-03 11:55) 

ノリパ

すごい地ですね。いろん時代に、さまざまな伝承。
歴史好きを引き寄せるパワースポットですね。
いつか行かないといかんですね。
by ノリパ (2010-02-07 17:22) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
源氏の聖地ですから、もう少し有名でもいいと思うのですが・・・。
でも変に観光で開けるのも、ちょっと困りものなので、
今のままの静かな方がいいかも。
by アテンザ23Z (2010-02-07 23:44) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
源氏の聖地ですから、
まさしく歴史好きにとってのパワースポットですね。
それにしても鎌倉からはるばるここまで来たんですねぇ、関東武士は。
by アテンザ23Z (2010-02-07 23:47) 

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