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文珠寺城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN6170.JPG←二ノ郭北端の物見台
 文珠寺城は、西小俣城とも呼ばれる。明確な歴史は不明であるが、幕府管領細川高国から上野彦次郎に宛てた1516年と推定される感状によれば、同年に越後守護代の長尾為景が越中国太田保に侵攻した際、上野彦次郎が文珠寺において防戦して戦功を挙げており、この戦いで上野氏が拠った城が文珠寺城であろうと推測されている。

 文珠寺城は、西小俣集落から南西にやや奥まった、標高356m、比高156mの山上に築かれている。明確な道はわからなかったが、集落から南の畑地を登っていく小道(国土地理院1/25000地形図に記載されている道)があり、途中で沢を越えてこの道を終点まで行くと、小さな水路のトンネル出口に至る(標高260m付近)。ここで道は終わってしまうので、右手の斜面を直登すると畑跡のような平場に出るので、ここから西に尾根に向かって薮を直登する。尾根に至るとはっきりした踏み跡があり、その先には踏み段も設置されているので、北尾根のどこかから登山道が整備されているらしいが、登り口は確認できていない。
 城は、南北に長い尾根に配された南北2郭から構成され、要所を堀切で区画した縄張りとなっている。北の二ノ郭、南の主郭共に、曲輪前面の防御に重点が置かれている。二ノ郭は北端に物見台を築き、城道はこの物見台を迂回するように敷設されている。物見台の前には舌状小郭が置かれ、小郭前面に小堀切、小郭の後部側方には竪堀を落として、二ノ郭前面を防御している。この少し北に離れた所にも土橋を残した小堀切がある。二ノ郭は南北に長いのっぺりした曲輪で物見台以外に特徴はない。二ノ郭と主郭の間には堀切が穿たれているが、鋭さはない。主郭も前面に舌状小郭を配し、小郭後部に堀切を穿っている。主郭も南北に長い平場で、北西の支尾根に小堀切を穿っている。主郭の東側方には腰曲輪を置き、1ヶ所竪堀を落としている。主郭の南半分には仕切り土塁や塚の様な土盛りが2ヶ所見られるが、明確な防御構造とは少々言い難い。主郭後部に土塁があり、その先にも堀切が穿たれているが、中央の土橋が広すぎ、堀切と言うよりも曲輪の端っこを竪堀で切り落としてるだけという形態になっている。その先の南尾根にも小堀切があるが、これも鋭さはない。以上が文珠寺城の遺構で、急ごしらえ&戦国前期の築城技術がまだ発展途上の城という趣である。
二ノ郭の小郭前面の堀切→DSCN6277.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.579170/137.307365/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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