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アド山城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC14929.JPG←主郭と堀切
 アド山城(阿土山城)は、葛生市街北方のアド山に築かれた山城である。カナカナ表記の珍しい山であるが、元々は阿土山と書くらしい。おそらく明治期に陸軍が初めて全国の測量地図を完成させた時に、漢字表記がわからなくて仮にカタカナで記載したものがそのまま残ったのであろう。地域的には唐沢山城を本拠とする佐野氏の勢力圏内であり、佐野氏の支城であったと考えられる。享徳の乱に際して、上杉方であった足利長尾氏に攻められた際に佐野氏が立て籠もったらしい。その他の歴史は不明である。

 アド山城は、栃木では有数の峻険な山城で、麓の金蔵院からの比高は220m程。途中の尾根筋の2本の堀切を越えて、城の中枢部に入ってからでも主郭まで比高50mもあり、高低差の大きな縄張である。前述の堀切は、大手と思われる東の尾根筋に築かれているが、いずれも1.5m程の深さを持ったしっかりしたものである。1本目のものは、特に南側に長く竪堀が繋がって掘られている。堀切周辺には城の前衛を成すと思われる曲輪らしい平場や腰曲輪らしいものが散見される。堀切から更に登っていくと城の中枢部に至り、何段かの小さな削平地を越え、更に3本目の堀切を越えて、ようやく主郭周辺に到達する。いずれの曲輪も削平は不十分で規模も小さく、多くの兵が籠められた城ではないことがわかる。途中の曲輪には小規模ながら石積みが2ヶ所見られるという、栃木では珍しい山城でもある。これらの石積みは、いずれも平場を確保する為の土留めであったと思われる。二つ目の石積みは細長い腰曲輪の縁に築かれていて、長さ10m程にわたって2段程の低い石積みが残存している。主郭手前の二ノ郭も規模が小さく、削平は不十分で傾斜している。ここには祠が祀られている。その上の主郭もほとんど自然地形に近い上に狭く、物見程度の役目しか負っていなかったように見受けられる。主郭は南北に細長く、途中を小さな堀切で分断している。主郭の北と東に繋がる尾根筋は絶壁で遮断されていて、改めて防御性を持たせる意味は無いように思えるが、北側には絶壁の先に小さな堀切があり、東側には竪堀がある。特に東側は、ロープを伝って登り降りする70度近い急崖で、20m以上の高低差を降った先の尾根に竪堀がある。関口和也氏作成の縄張図がなければ、普通こんなところまで城域とは思わないだろう。

 全体に削平が甘く砦レベルの城であるが、その割りに堀切や石積みの構築など普請はしっかりしており、物見の城なんだか詰城なんだかよくわからない性格に見受けられた。そういう意味でやや特異な城の印象に感じられた。
1本目の堀切→DSC14866.JPG
DSC14904.JPG←わずかに残る石積み、長さ10m程
一つ目の石積み→DSC14889.JPG
DSC14915.JPG←二ノ郭、かなり傾斜している


 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.438055/139.605277/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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