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不摩城(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]

DSC04759.JPG←腰曲輪を分断する竪堀
 不摩城は、秋葉城とも言い、藤姓足利氏によって築かれた山城である。1167年に足利有綱が唐沢山城の北の護りとして築いたとされる。城の東方を流れる永野川の東岸山麓に築かれた支城の藤沢城と相呼応して、敵に備えたものと考えられる。初代有綱が唐沢山城を継ぐと、2代木村信綱、3代木村政綱が居城し、1260年には島津大隅守盛忠が城主となった。その後の歴史は明らかではないが、時代が下って1614年には、佐野城と共に廃城となったと言う。

 不摩城は、蓬莱山の中腹の尾根上に築かれており、麓からの比高は100m弱でそれほど峻険な山城ではない。規模もあまり大きくはないが、縄張はなかなかしっかりしている。山上に3つの曲輪を一列に並べた連郭式を基本としている。各曲輪間は堀切と土塁によって分断し、特に最も山側の最後の堀切は高低差のある立派なものである。主郭周囲には数は多くないが腰曲輪を築いて防御を固め、かつ要所に竪堀を効果的に配置して動線を分断している。この腰曲輪の動線分断はなかなかのものである。その他、北の斜面下には数段の段曲輪群があり、出曲輪の様な防衛陣地となっているようだ。ここにも数本の竪堀が見られる。一方、南東側の大手道沿いには2段ほどの広めの平坦地が見られ、山麓居館が置かれた場所であったかもしれない。

 城への登り口には標柱が立ち、登山道もある程度はっきりしているが比高は大したことないので、訪城は容易である。山城初心者でも手軽に、且つ十分楽しめる山城であろう。
3つ目の堀切→DSC04812.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.448688/139.635736/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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コメント 4

fuzzy

平安末期の山城ですね、藤姓藤原氏と謂えば藤原秀郷の末葉ですよね、この一統は非常に興味深いです、北関東の秀郷から足利・新田氏までの流れにこれから入り込みたいと思っているところです。
by fuzzy (2010-02-25 14:50) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
現在残る遺構は明らかに戦国後期のものなので、
長い間使われ続けてきた山城なのでしょう。
藤姓足利氏は早くに断絶し、源姓足利氏に取って代わられました。
秀郷の末裔は、嫡流と目される小山氏のほかに、
本拠地を引き継いだ佐野氏など、
渡良瀬川流域に広く蟠踞したようです。
by アテンザ23Z (2010-02-25 18:09) 

ノリパ

100mなら、それがしでも行けそうデス。300mとかになると
逝ってしまいますから。。。
by ノリパ (2010-02-27 17:36) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
この城は楽勝です。
不摩城は斜度もそれほどきつくはありませんし。
比高が割と低い山でも、斜度がきついと
身体的にきついと感じたりします。

by アテンザ23Z (2010-02-28 13:49) 

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