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今井城(東京都青梅市) [古城めぐり(東京)]

DSC08310.JPG←主郭周囲の空堀
 今井城は、歴史不詳の城である。わずかに今井四郎左衛門尉経家の子孫の宗家ら数代の者が伝領したが、天正年間(1573~92年)に断絶したと伝えるだけと言う。

 今井城は、藤橋城から北東にわずか1.5kmの位置にあるが、藤橋城より余程中世城郭らしい良好な遺構の残る城である。それほど大規模な城ではないが、台地先端を空堀で3つの曲輪に分断した連郭式の縄張で、各曲輪周囲の土塁と空堀が非常によく残り、土橋も明瞭である。しかし堀はそれほど大きなものではなく、一番深いところでも5m程で、あまり横矢は掛かっておらず直線的な堀の造りである。

 日本城郭大系によれば、今井城の土塁を発掘したところ、主郭西北隅の土塁中から整然と並んだ墓所が出現し、墓に付随して多数の板碑や骨壷・火葬骨等が散乱した状態で発掘されたことから、元は屋敷墓という信仰・祭祀の場所を無残に打ち砕いて城を築き直した想像されると言う。このことから、血の繋がる一族による城の改変と言うより、戦国社会の強い外からの力が加わってできた城ではないか?と大系では考えている。勢力圏としては山内上杉氏か小田原北条氏のいずれかとなるが、堀に横矢が掛かっていないところから考えると、北条氏の線は薄いように思われる。もしかしたら勝沼城に本拠を置いた三田氏の支城で、三田氏が辛垣城に退去した前後に打ち捨てられて、そのまま北条氏にも使われることなく廃城になったものかもしれない。

 いずれにしても、青梅の住宅地の一角にほぼ原形をとどめた中世城郭が丸ごと残っていること自体が奇跡に近い。冬場ならば草刈されて整備されているので、遺構の確認が非常にしやすい、お勧めの城である。青梅市の城はどこも保存状態がよく、素晴らしいと思う。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.810366/139.314483/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世崖端城
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