大河原城(埼玉県飯能市) [古城めぐり(埼玉)]
←主郭南下方の堀切
大河原城は、武藏七党の一、丹党に属する大河原氏の居城と伝えられている。しかしその事績はほとんど明らかにすることができない。麓の軍茶利神社は、1202年に大河原四郎が創建したものと伝わるのみである。大河原氏は、龍崖山山頂の城を詰城とし、麓近くの比高30m程の尾根上にやや広めの平坦地を築いて居館を構えていたようである(龍崖は「要害」の転訛)。この居館部分は「殿屋敷」と呼ばれる。
大河原城の本城が築かれた龍崖山は、比高は100m程に過ぎないが登城道の傾斜はやや急で、登るのにはちょっと苦労する。大河原城は、詰城らしく単郭の小さな城で、主郭の北・西・南の尾根に堀切を築いて防御を固めている。中でも南側の堀切は、城の大きさに比較すると規模が大きく見応えがある。また、大手に当たる主郭東側には小型の竪堀群が築かれて、大手の防御を固めている。ただ、この竪堀は長さが短い為、竪堀というより切岸を一部削り残した様な形に見える。或いは、斜面の一部が崩落したと考えても不思議の無い程度のものである。いずれにしても、比較的早い時期に歴史の闇に消えていった土豪が築いた小規模な城だったのだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.855561/139.292017/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
大河原城は、武藏七党の一、丹党に属する大河原氏の居城と伝えられている。しかしその事績はほとんど明らかにすることができない。麓の軍茶利神社は、1202年に大河原四郎が創建したものと伝わるのみである。大河原氏は、龍崖山山頂の城を詰城とし、麓近くの比高30m程の尾根上にやや広めの平坦地を築いて居館を構えていたようである(龍崖は「要害」の転訛)。この居館部分は「殿屋敷」と呼ばれる。
大河原城の本城が築かれた龍崖山は、比高は100m程に過ぎないが登城道の傾斜はやや急で、登るのにはちょっと苦労する。大河原城は、詰城らしく単郭の小さな城で、主郭の北・西・南の尾根に堀切を築いて防御を固めている。中でも南側の堀切は、城の大きさに比較すると規模が大きく見応えがある。また、大手に当たる主郭東側には小型の竪堀群が築かれて、大手の防御を固めている。ただ、この竪堀は長さが短い為、竪堀というより切岸を一部削り残した様な形に見える。或いは、斜面の一部が崩落したと考えても不思議の無い程度のものである。いずれにしても、比較的早い時期に歴史の闇に消えていった土豪が築いた小規模な城だったのだろう。
殿屋敷跡の削平地→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.855561/139.292017/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
2010-05-29 02:39
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