SSブログ

中山氏館(埼玉県飯能市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC08431.JPG←唯一残る堀と土塁跡
 中山氏館は、中山家範館とも呼ばれ、武蔵七党の一つ丹党の出で加治地方を領した中山氏の居館である。鎌倉時代、加治家季の頃にこの地に居住するようになったと伝えられている。その後裔、中山家勝の時に加治氏から中山氏に改称したと言われ、その子勘解由家範は小田原北条氏に仕えて北条氏照の重臣となり、1590年の小田原の役において、八王子城に籠って壮絶な戦死を遂げた。家範の次男信吉は関東に入封した徳川家康に取り立てられ、側近として活躍した。そして水戸徳川家初代藩主頼房の付家老となり、以後、水戸家代々の付家老として活躍した。

 中山氏館は、現在ほとんどの遺構が宅地化で湮滅しており、わずかに住宅地の合間に10m程の堀跡と土塁が残っているに過ぎない。元々小さな方形居館であったようだが、館の周辺には中山家に仕える武士の居宅や田畑があり、中山氏は日常は農業経営を行いつつ武芸の鍛錬に励み、戦闘に当たっては武士団の長としてこの地から出立して活躍したと言う。
 尚、居館跡から西にわずかの距離にある智観寺には、江戸時代の中山氏代々の墓が並び壮観な眺めである。中山氏は常陸に移ってからも、本貫の地であるこの地との繋がりを大切にし続けたようだ。そして徳川家康の関東経営が成功し、250年にわたる徳川幕府の体制が磐石のものとなるに当たっては、こうした北条家の有能な家臣団をそのまま取り込んで活躍の場を与えたことも大きく影響したのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.863648,139.319923&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 2

fuzzy

中山勘解由は先日読んでいた「戦国関東血風録」に主要人物として登場していました。智観寺は家から遠くないので行ってみます。
by fuzzy (2010-05-28 12:57) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
中山家範は、氏照からはかなりの信頼を受けていたようです。居館の遺構がほとんど壊滅状態なのが残念です。
by アテンザ23Z (2010-05-28 23:22) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント