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松野北城(栃木県那珂川町) [古城めぐり(栃木)]

DSC09759.JPG←山麓に向けて落ちる畝状竪堀
 松野北城は、宇都宮氏の一族松野氏の出城である。松野氏は、鎌倉時代に宇都宮氏庶流の八田業義が武茂氏に属して松野郷に入部して松野氏を称し、武茂氏と共に那珂川東岸を領して那須氏への押さえとなった。後に宗家宇都宮氏との関係が薄れ、戦国時代後期に常陸の佐竹氏の勢力が伸張すると、松野氏も武茂氏と共に佐竹義昭に従って那須氏との攻防を繰り広げた。1602年に佐竹氏が秋田に転封になると、松野氏もこれに従って秋田に移り、佐竹氏の重臣として幕末まで存続した。

 松野氏の初期の居館は麓近くにある畑の台館と考えられ、室町時代に入って戦乱が世を覆うとより要害堅固な山城に居を移したと考えられる。松野氏の山城は、城間川沿いの谷間を挟んで松野北城と松野南城の二つが南北に並んでおり、南城の方が本城であり規模も大きかった。北城は、本城の南城と連携して城間川沿いに展開する家臣団屋敷地の防衛に当たる出城として機能したと考えられる。

 松野北城は出城の為、その規模は決して大きいものではない。山頂の主郭を中心に、南と西側の斜面に数段の小さな腰曲輪を展開させ、主郭北側の尾根筋を二重堀切で分断した、典型的な小型の山城の縄張りである。主郭の北側には櫓台を兼ねたと思われる土塁も残っている。この城ですごいのは、栃木県内では類例の少ない畝状竪堀を設けていることで、最長の竪堀は山上の主郭付近から山麓まで伸びる見事なものである。
 訪城した時は山麓の腰曲輪付近の木が伐採された後の様で、伐られた倒木が多く歩くのがなかなか大変だった。また、腰曲輪は藪がほとんどないが、主郭近くに近づくにつれて薮だらけになり、遺構の確認が大変であった。しかし県内では有数の畝状竪堀は見事という他はなく、必見の遺構であろう。
主郭背後の堀切→DSC09745.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.702490/140.171052/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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