SSブログ

片平城(栃木県那珂川町) [古城めぐり(栃木)]

DSC09628.JPG←竪堀とその左側の櫓台
 片平城は、那須氏の一族片平氏の居城である。源平屋島の戦いで活躍し、那須氏の家督を継いだ与一宗隆は10人の兄を各地に分知した。八郎義隆は最初、堅田に入封して山田城を築いて堅田氏を称したが、後に片平城を築いて本拠を移し、以後は片平氏を称した。片平氏は那須氏の一翼として活動した。永禄年間に入ると常陸の佐竹氏が強大化して武茂氏などを配下に収めて那須地方に侵攻を繰り返し、その一連の戦いの中の1570年、武茂城主武茂宗綱が片平城を攻めて落城させたと言う。その後の城の歴史は不明である。

 片平城は、片平氏の菩提寺である常円寺南の比高50m程の低山に築かれている。この山も全体に藪がひどく、遺構の確認が困難な部分も多いが、金枝城ほどひどい藪ではないので、何とか遺構の概要を掴む事ができる。山頂に主郭を配置し、その周囲を空堀を廻らして防御している。空堀には一部に虎口状の切込みが2ヶ所入っているが、南側の虎口は藪がひどく、その下方との連携を掴む事ができない。主郭北側には空堀を跨いで二ノ郭らしき平場があり、土塁と堀切も設けられている。主郭との間の空堀は東側に落ちて竪堀に変化しているが、ここの構造は見事で、横堀が二度屈曲して竪堀に変化して落ちているが、この竪堀を防御する櫓台が南側に備わっている。おそらく城内通路兼用の竪堀だったのだろう。その北東側には二重横堀と腰曲輪群が並んでいる。こちらが城への登り口で、構造的にも大手だったことが確実である。一方、主郭東の下方には、上下2段に別れて外周を横堀で囲んだ三ノ郭があり、そこからやや離れて北東に伸びる広い平坦地には四ノ郭(馬場か?)がある。これらのほかにも主郭西側にも緩斜面が広がり、曲輪だった可能性があるが、藪がひどかったので未確認である。
二重横堀→DSC09624.JPG

 以上が遺構の概要で、堀の規模は決して大きくはないが、効果的に配置しており見所が多い。栃木の里山の通例で藪がひどいが、全体的には素晴らしい遺構が残っている城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.741171/140.118631/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント